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2021年8月19日木曜日

論文の読み方などについて

就労の話ではないのですが、最近新聞を賑わせた差別発言に関係して、色々見ていたら興味深い書き込みがSNS上にあったので紹介します。

なぜ、科学的であることをウリにするYouTuberの論文紹介の方が、専門家のそれよりも多くの人に信用されるのかというと
「いくつもの実験条件を満たした場合にだけその実験結果になる」と専門家は言うのに対し、YouTuberは実験条件の細部に言及せず、いつでも成立する法則であるかのように断定するから
これは興味深いなと思いました。
と、同時に論文の読み方を巡る話だと感じました。

なぜそう思ったかについてですが論文の読み方一つをとっても大学などの高等教育における教え方には違いがあるからです。私の個人的な経験からその話をします。論拠などはなく学生時代に受けたカリキュラムに基づいた経験的な話であることを予め明記しておきます。その上ではじめにまとめを記載し個別に詳細を書いていきます。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
各項目の話をします。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
学部時代卒業論文というものを執筆しました。もちろんそこに至るまでには概論、専門教科、ゼミなどがあるわけですが卒業論文の前段階のゼミで、なにか主張することとその論拠の正しい示し方について教育されます。その教育に基づいて、卒業論文を執筆するのですが、基本的には1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれています。作法も大まかなところは担当教授の指導が入るのですが、この段階では「書く」ことのほうが重要視されていました。作法云々というよりは書くという経験を通して長文を書くということはどういうことかを身に着けるということであって、このスキル自体は社会人あるいは労働者として働くに際して重要な経験になるわけです。
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
修士課程になると論文に対する考え方が変わります。学部時代では「書く」ことに重点が置かれていた論文の執筆が修士になると論文の作法を緻密にレクチャーされることになります。例えば、脚注や引用の仕方であったり、「先行研究」のレビューを行いそこから判明していないことを見つけ、調査を行いその結果新たに何がわかったかわからないかを書くといったところになります。

修士を修了して○年たちますが未だにこれは苦労するところがあります。
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
冒頭、紹介したツイートに話を戻します。
このツイートはおそらく論文の読み方に関する話だと思います。読んでみて、前者については修士以上の人であれば納得があると思います。論文を書く際に必要な研究のレビュー・調査・考察に基づいた話し方でわかりにくさもあるが学術的です。一方で後者についてはわかりやすいですが、論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえます。

動画などのリッチコンテンツはどうしてもわかりやすさが求められるので、いろいろなところをはしょったり、竹を割ったような物の言い方をしがちではありますがそれゆえ危うさもあります。「地球は丸い」といった普遍的な事実であれば竹を割ったような言い方でも問題はないかと思いますが、最新の研究や海外の研究を参照するときは、断言をするのはよくないと個人的には思います。知識を適切に紹介するというのはかなり高度なスキルが求められるのではないかと感じました。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...