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2022年10月9日日曜日

雑記:20代は何でもできるという話

 この頃はTwitterも高齢化が進んできたようで、バズる話も若さではなく若いことの偉大さみたいな話が増えてきている。

そんな話を見て、自分も10年くらい前のことを思い起こして書いてみようと思う。

この前、アラフォーになった私が20代だったのは今から15~5年前のこと。

昔、自らが精神病と向き合うために書いたドキュメントを振り返るならば、そこに書かれていたことは短く言えばつぎのようなものだった。
  1. 好きなことばかりやっていた(サークル、オフ会、政治学)
 Twitterなどによるとこの頃の若い世代は損得勘定で自分の趣味を決定するところがあり、それ故悩ましいことになるみたいな話を聞く。

 右へ左へわけもわからず飛び回った自分から見ると、最近の若い世代はとても大人びているように見える。しかし、"若さ"というのはある種の特権でもあるのでそれを生かしてどこにも飛び回らない生活をしていくというのは寂しいものを感じる。

自分は今思えばわけもわからず飛び回っていたが、結局コスパも損得も考えないことで自らの問題に割合早い段階でぶち当たり今に至るきっかけを作ることができた。

これは副産物だと自分では思っているのだが、役に立たないけど好きなことにアホみたいに打ち込めるのは20代、それも学生時代がマックスなので若いうちに打ち込みたいと思ったことはどんどん打ち込んでおいたほうがいい。

それが将来の財産になると自分が学生時代のころ先人のおじさんおばさんたちは言っていたがこれはやっぱりそうで、この面白いところは直ぐに反映されるわけではなく、年月の経過とともに少しずつ反映されるみたいなところがある。ある日トイレで用を足しているときに突然反映されることもある。そういうものなのだ。これは20代後半くらいで気がついた。

それを踏まえて1つ言及する。

  1. 20代の発達障害者はやりたいことに打ち込め
 自分が、こういうふうに好き勝手やって人に言われても止まらなかったのは今思えば発達障害だったからであるのと、親がその辺をあまりうるさく言わなかったからである。病気を認知する段階では親はうるさく言っていたが、それとは別に専攻や趣味などに関してはあまり言わなかった。

 専攻や趣味にうるさく言わなかったのは今になってなんと幸いだったかと思う。ネットの当事者を見ると、抑圧されたり、うまくレールを作ることができず迷走していった人が結構いるからである。

 一方で当事者でも20代で好きな様にやっている当事者はいきいきしている。年配のおそらく抑圧され続けた当事者からやっかみがたくさん飛んでくるようだが、それに負けず(ブロック、ミュートを使いこなして)に奮闘してほしい。

 若さはある種の特権であり、そこで築いたことが今後につながる。築いたことからの上積みで生活は成り立つのだ。

終わり

2022年9月16日金曜日

メモ:この頃の大学生の就活動向

大学院生を経験すると卒業後も時折手伝いなどをする機会があったりします。
その有無は教授の特徴いかんによりますが、私の場合はそういう機会が生じたということです。ありがたいことと思います。

今回学部3年生のゼミ発表にゲストとして参加することになりました。
正直言えば、結構緊張しています。
なぜかといえば、私が学生をやっていたのは10年前。10年で世の中は様々変わりました。
10年前はリーマンショックと言われた時期で不景気でありましたし、今のようにコロナウイルス禍でもなくまたスマホもそこまで普及しておりませんでした。

下調べのデータも不足しておりましたので、この頃の情勢はどんな感じなのか新聞の大学面のバックナンバーを中心に調べてみました。すると次のようなことがわかりました。


記事によると24年卒はこれまでより早期化しており、インターンシップも夏から行われる傾向は強まるとされておりました。一方で一日インターンシップも依然数が多く超短期のインターンが就活に経験として活かせるかは不透明であるとのことでした。


選考の形態はオンラインと対面の混合型が広がっており、個人の考えとしてコロナ禍前の就活動向とコロナ禍以後では変化が生じていることがわかりました。


学生の実態としては、コロナ禍である2020年入学ということもあり、コミュニケーションが少ないことや構内閉鎖に伴う心の問題が浮上しているとのことでした。

少ない時間では負うことのできる題材にも限界がありますからこんなところなのですが、このように見ていくと24年卒の世代というのは非常に取り扱いの難しい世代なのかと思います。

この他のトピックとしては障害者学生に関するところはまだ新聞は終えていないようで、読売新聞に「持病をどう提示すればいいのか」という質問に対して「ケースバイケース」といったような回答があるなど、障害者学生における新卒が進んできている中でもまだトピック性がないのかなぁと思った次第でありました。

話は別ですが新聞と就活なども色々見ていて今更ながら思うところというのはあります。これは余力があれば書きたいと思います。

何かあれば追記します。

とりあえずここまで。

終わり

2022年9月10日土曜日

時事メモ:エリザベス2世の死去

 朝礼で失敗したネタを供養すると書いたのでこの話を取り上げます。

なぜこんなことをいうかといえば当日朝、マイクが入らないハプニングがありうまく話せなかったからです。


  • エリザベス2世死去


 イギリスのエリザベス2世の死去が日本時間の金曜日早朝、報道されました。NHKプラスのバックナンバーを見ると、金曜日の午前2時半ごろ自然紀行番組の放送中にニュース速報が入り、まもなく臨時ニュースという形で別途スタジオから詳報が伝えられていることがわかりました。次の金曜くらいまでは確認することができます。


 イギリスBBCではBBCワールドニュースのオープニングで使用される赤色で彩られた地球儀を模したCGが灰色になっており「News Report」という題名で、喪服のアンカーがバッキンガム宮殿からの発表としてエリザベス2世の死去を報道しておりました。


 金曜日の朝刊には間に合いませんでした。朝刊の最終版の締め切りは経済広報センターにある「企業広報の基本」によるならば午前2時ごろとされており、その時間を過ぎていたためです。新聞の詳報は電子版を除くと紙面での報道は金曜日の夕刊からとなっておりました。評伝も含めた詳報は土曜日の朝刊に掲載されていました。新聞各紙による詳報を見る限りではエリザベス2世は1926年に生まれ、1952年に即位、そこから70年もの間治世を行い、ヨーロッパではフランスブルボン王朝のルイ14世(リンクは世界史の窓)の72年に次ぐ統治期間であったとのことでした。


 在位中に亡くなったと聞いて、上皇陛下の生前退位のことなどを思い出し、風呂敷をたたむことの難しさを改めて痛感しました。しかしながら、今日、各種記事を読んでいる限り1947年4月21日、当時21歳であった即位前のエリザベス女王が「私の人生、長くても短くても帝国という大きな家族への奉仕にささげます」とラジオでイギリス国民に語りかけたように、まさにそれが生涯であったのだろうと思いました。


 個人的に記事を読む限りですごいなぁと思ったのが、変化し続ける王室を体現していたこと、とりわけ1997年のダイアナ妃の交通事故死を受け、イギリス国民の批判を受け王室への支持率が最低に落ち込んだとき、そこから挽回するために積極的に動いたというところでした。「君臨すれども統治せず」というけれども、政治的な嗅覚は凄まじいものがあると思いました。


終わり

2022年8月29日月曜日

時事メモ:非同盟主義と第三世界について

 新聞を見ていましたら、中国がアフリカ支援で非常に大きな評価を受けているとあって、そこの背景に冷戦期から戦略的にアフリカを重視してきたというふうに書かれていました。

少し、歴史的な観点からの記述が弱いのもあるんですが、日本の新聞を悪いところは歴史の話をしないというところです。これも一言で書けば、ああそういうことかと合点がいくのに変だなぁと思うわけです。

中国とアフリカの関係を見るとき一言で言えば冷戦期に起こった第三勢力の潮流、それに連なる非同盟主義があります。この2つの言葉を『詳細世界史研究』(図書館のリサイクル図書なので2代前です)から拾えば次のようになります。
 第三世界は民族自決権の擁護、経済的自立と世界経済秩序の再編、軍縮の実現などのために国連を中心に活動した。(※)
第三世界は、アジア・アフリカ諸国を中心にアメリカ・ヨーロッパを中心にした第一世界、ソ連などの第二世界に対するもので、 中国はそのカテゴリの中に入っています。

非同盟主義は、東西の冷戦による対立に加わらないだけでない中立の立場を主張したものでありました。主要人物には中国の周恩来やエジプトのナセル、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトーなどが挙げられます。

この流れ自体は20世紀後半に起こった冷戦の下、地域で起こった戦争が当時の大国であった米ソが間接的に援助する代理戦争の側面がありましてそういうところから生まれた動きです。
この第三世界の枠を前提として中国はそんなに豊かでない頃から、今に至るまでアフリカを支援し続けてきたのであったという話です。

このように、歴史に関心があれば世界の見方を少し俯瞰的に変えることができます。
新聞記事見てしょーもないなぁと思ったら不定期に書いていきたいと思います。

(※)木下康彦など『詳説世界史研究』山川出版社、1995年、501頁

終わり

2022年8月28日日曜日

メモ:カミングアウトとそれを巡る危うい告発に関する見解

 障害者雇用に関する批判的見解は法的側面から語らないと危険性を伴うと以前日記に書いたが、あるユーザーが発達障害を巡って書かれたノート記事は感情ベースで書いてしまったという点で典型であった。

内容はすでに削除済みになっているので、ざっくり内容をまとめると一般就労で入った新卒が入社直後に障害をカミングアウト、それからその新卒社員は短期間であちこちの部署を異動、書いたユーザーが所属する部署にも配属されたまったく使い物にならない、病院にもつながっていない手帳も取得していないようなので苦しいというものであった。

ノートへの記載内容は中身はともかく人総的には色々考察できると思うが、思いついたのは1点あったのでそれだけ記述。

1.発達障害をカミングアウトしたことでなぜ解雇にならなかったか
ここが最大の疑問のように思っていた方もいたのですが、事例と推測を参照してみる。


JILPTの雇用関係紛争判例集を見る限りでは類似の事例としては以下が考えられる。

 他方内定取消を違法とした例には、応募書類では在日朝鮮人であることを秘匿し、後にそのことが判明して内定取消となった日立製作所事件(横浜地判昭49.6.19 判時744-29)があり、ここでは、提出書類の虚偽記入は、その内容・程度が重大で信義に欠くものでなければ内定取消は認められないとされた。

 

 この事例では応募書類と実際の状況に相違があって内定取消となったとされているが、今回のノート記事で書かれたような事例の場合、発達障害であるが入社直後に判明した場合であれば経営側の判断としては裁判沙汰になるよりは、新卒社員という採用形態の将来性、教育的側面にかけてそのまま採用を維持したのではないかと思われる。また、ノートを書いた人は知らないようだが、合理的配慮は手帳持ちでなくても事業者判断で受ける(PDFリンクの9頁)ことができるので、障害をカミングアウトしたから解雇というのは選択肢としては現実的ではないと私は思う。

 とはいい、どうしても能力を見極めたい場合であれば試用期間を設けることが求められる。記事によれば、試用期間中は解雇や契約終了の幅も通常よりは広く取られており、ここで能力を見極めていくということになるだろう。


あくまでも一般論ではあるが、今回のケースの場合、試用期間で見極めずそこから本採用になった以上は、しょうがないだろうというところであって我慢しなさいというのが個人的な見解。また、最終的に従業員へ退職を促すか否かは従業員のお気持ちでは不可能なのでそんなことで気を病むだけ本質的には時間の無駄であるといえる。

終わり


2022年8月10日水曜日

メモ:ともに暮らすということ

お盆休みなので発達障害と結婚に関して以前ツイッターに書いた話をまとめます。

1.ともに暮らすということの効用と発達障害

発達障害当事者の議論を見ていると、ともに暮らすことを諦めている人がいるようです。

これはとてももったいない話です。

ともに暮らすということは結婚だけでなくパートナーシップや事実婚も入ります。

さて、配偶者やパートナーとともに暮らすと何が変わるかというところですが、いちばんわかりやすいところで言えば、馬力が1から2になることです。馬力という概念は人だけでなく金なども入ります。
この変化はびっくりするほどローリスクです。これは株式投資をするよりリスクが低いです。

自分も一応発達障害と向き合っている身なのですが、自分の考えとしては発達障害者の結婚・事実婚などに関しては無条件で肯定します。おそらく、否定する側は引け目を感じているのかもしれませんがはっきりこの考えは無意味です。ともに暮らす機会があればぜひ暮らしたほうがいいです。

「私なんて人様の迷惑になるかも・・・」
とか思う人も中にはいるかもしれませんが、人間社会は迷惑をかけてかかされる螺旋のようなものであるのでそこは堂々としたほうがいいです。

その上で、結婚や事実婚のあとのことについてですが、結婚をしたということがゴールではないことを認識する必要があります。

結婚やともに生活をはじめることは通過点でしかないです。言い方を変えればその通過点をすぎても学ぶ事がたくさんあります。むしろパートナーや婚約者とともに歩むことでいろんな意味で脳が刺激されます。この刺激を通してまた学びが深まっていくのは実感としてあります。お互いに分かち合い、話し合い、折り合っていくという課程の繰り返しなのですが、これがお互いの感性を豊かにしていきます。そのためにはお互いにリスペクトが求められます。

2.色々見ていくと・・・

そして、どんなに非モテであろうとなかろうと結婚とか出会いとかそういうのは直感みたいなのがあります。古い言い方かもしれないけど直感は大事にしたほうがいいです。必ずターニングポイントっぽいものがあります。私は恋愛に関しては、直感を重視し今結婚しています。

直感というのは、第六感だったりはじめて異性を見たときにビビっと頭の先から足の先まで貫くような感覚だったり、あるいは「この人と私であればそのうち○○な状況になるだろう」みたいな感覚です。結婚したあとに、いろいろあちこち聞いていると意外とこの感覚を受けた人というのはいないもので、私と同じような経験をした人は数人しかいませんでした。かなしぃなぁと思ったものです。

終わり

2022年7月24日日曜日

メモ:実現可能性を考慮するということ

たまに修士課程の際にお世話になった大学院へ行くことがあります。

目的としては基本的には暇つぶしや交流なのではありますが、この歳になってゼミを聞いていると発見があり刺激になっています。その内容を紹介したいと思います。項目は3つです。
  1. 基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
  2. 研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
  3. 教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
それぞれ解説します。

1.基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
ゼミで書く論文というものは教育的な側面があり、色々見てざっくりといえば、起承転結を論文という形で整える時間です。

例えば、論文の計画があり、計画をどのような方法で展開し、そこから得られたもので見える解はなにか、主張はなにかというのをやります。

ただし、これには根拠が必要でそれは本や論文などの先行研究(これまでのあらすじとも言える)や、各種データ、事例などがそれに当たります。先行研究はレビューなどを通して検討を行います。

データは色々ありますがそこには若干の気づきがあったので次の項目で記載します。

2.研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
ある決まった年限の中で(通常学部は1年、修士は2年です)、風呂敷を広げてたたむということも求められます。風呂敷は広げっぱなしではいけない。

データの収拾方、取り扱い方がそうで、これは仕事でも同様なのですがある課題や課業があるとして、それは決まった時間、あるいは確保できた時間の中で処理しなければなりません。

学部や研究科でも同様であり、それはむしろ社会で勤労者として働く前に身につけるものであります。これは私は残念ながら現役の学生であるときは気が付きませんでした。

処理といいますと、これは本人の力量によるところは大きいところがあると思います。例えば、あるデータ(仮に人口統計とします)があって、これを図表として任意の形で処理するには、表計算ソフトに起こし加工をするわけですが、これができるスキルがあるか。あるいはいろんなツールの発生や利活用を見聞きすると、この頃では情報処理に関するスキルの有無が論文を作成する上で、重要になっていると思います。言い換えれば文系でも理系の知識が必要といったところです。それだけ情報が高度化してきていると思います。

加えて言えば、就職したあとも、情報処理を求められることが増えているような気はします。情報処理に関する基本的なスキルを早い段階から身に着けていれば文系でも何かに取り組むとき助けになるかもしれません。

3.教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
観察しているとそれはすごく感じるところがあって、教育機関だからこそすり合わせをしながら作っていくというのは大きいです。言い換えれば、アウトプットだけを求めるのではなく、教育課程ではインプット方とアウトプット方を育成するところに焦点をあてるのはおそらく本人も成長できるというところでしょう。

今はどうか知りませんが、大学院は悪い意味でガチャみたいなところがあります。いい先生に当たれば、面倒よく色々見ていただけるのですが、悪い先生に当たると、適当にあしらわれて個人戦になって潰れるなんていうケースもよくあります。私もかつて見聞きしただけでもいくつか潰れた話を聞きました。

その上で、警句めいた感じになってしまい、誠に申し訳ないのですが最近一部の働く発達の当事者の中には大学院に行って研究を書きたいという方もたまに見かけます。本当に気をつけてください。社会人の大学院というのは色々ありますが、基本的には教授の相性だけでなく、仕事しながら通う形になりますので非常に時間がとられます。夜間を中心に通う形になりますが、平社員だとかなり厳しいです。ゆえに企業のお金と勤務の枠で行くのがある種の常道であるし、そういうルートではなく通常ルートでしかし当事者だから行きたいという情熱と夢だけで達成できるほど、生易しいものではないとだけは言っておきます

終わり

2022年6月27日月曜日

メモ:判断基準のものさし

この頃、Kindle Unlimitedの購読を再開しました。
再開の理由は3ヶ月99円セールのお知らせがあったからなのですが、これは色々あって1ヶ月無料のみしか適用できませんでした。私の徳がなかっただけですので忘れます。

さて、Kindle Unlimitedでこんな本を見つけ読みました

この本は90年代後半に朝日新聞で連載されたコラムをもとに書かれたもので、インプレス社より復刊したものになります。

青木雄二さんという漫画家がいたという話は知っていて、何気なく読んでみたのですが面白かったです。

どう面白いかというと、マルクス主義というフレームワーク、考え方を自分の中に落とし込んでそれを分析のツール(ものさし)として用いているということです。ネットの評判を見ると、マルクス主義が好きな漫画家といった評が載っているものでしたが、そういう次元ではないように見えました。

先人の考え方を分析のツールとして利用するのは結構難しいものがあって、知識の蓄積が必要です。自分も歴史の中で考えたときにとか言ったりすることがあるんですが、それはせいぜい山川の詳説世界史レベルの話であってそんなに複雑なものは基本使いません。というか自分はまだ確固たる分析のツールが確立していないきらいすらあります。


分析のツールとして使うのはぶっちゃけ、割合普遍的なのであればどんなのでもいいです。それが、青木雄二さんの場合はマルクス主義だったわけです。
ハイエクでもフリードマンでも全く構わないと思います。

ネットの悪いところだなと思うのは分析のツールとして哲学を使って、世の中(世間ともいう)をどう見るかではなく、木を見て森を見ない揚げ足とりが支配的であるということのようにあります。例えば、ある事柄について問題提起をしたとしてそれを行った人の髪の毛が薄いとかいうところにばかりに注目をする話です。
結局の所、お金を稼ぐにしろ何をするにしろ生活をどう行うか、その生活を豊かにする一つの尺度は分析のツールをどう使うかによるので、それを放棄して揚げ足とりをしながら生きるのは生活の手段を放棄しているのと同じです。

終わり

2022年6月8日水曜日

メモ:成功ではなく改良のほうが有意義

 日々、SNSで当事者の話を見ていると、成功を強調するケースを見かけます。

「成功」をするという意味を見ると次のようにあります。

その中のデジタル大辞泉「成功」の解説には次のようにあります。
2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。「写真家として成功する」
つまり「成功」の意味の中には名声や社会的地位の確保があるようです。 
さて自分が、当事者自身が成功を強調していることを見るとどうも違和感を感じます。

その「成功」が物事を成し遂げ、地位や名声を得ることにあるとするならば、試験の合格や仕事の業績、社会的地位の確保が果たして成果なのでしょうか。私は正直モヤッとするところがあります。なぜならば、本質的には試験それ自体は通過点にすぎないからです。試験に合格したことはすごいでしょう。そこまでの過程はそれなりに勉強をしないと達成できないものであることが多いからです。しかし、試験に合格した=私はすごいというのは短絡です。試験はそれ自体がある一定の質を担保するための仕掛けではありますが、同時に得られたその質をもって長期的に何を成すかに焦点を置いておいてほしいと自分は思います。仮に合格したのみを持ってそれを承認欲求を満たすだけに用いたとするならば、これほど無意味な営みはないでしょう。

ついでに書くと、自分は到達点を持って「成功」とする考え方はあまり好きではありません。政治思想の用語で社会主義という言葉がありますが、これにも大変大雑把にくくって潮流があり「革命」と「改良」があります。「革命」はゴールがあるが「改良」はゴールがない。細かく言えばいくらでもかけますが際限がないのでこれでご容赦ください。その思想の歴史をみれば、「革命」は大変な犠牲を出し、「改良」は現実的な成果をあげました。

では、「成功」にくくる当事者の考え方を鑑みてみるとゴールを求めすぎているような気がします。「成功」はある意味ではユートピア(理想郷)であって、それ自体は意義がありますが、あまりそれに引きずられるのはよくないです。歴史を見れば、そういうケースでは、それを維持するためにPowerを広範に用いるようになったものです。

改良し続けて、生きやすくしていくほうが長期的には有意義でしょう。

終わり

2022年5月27日金曜日

雑記:国立国会図書館デジタルコレクションを見て再度利用者証を登録

 5月18日に国立国会図書館デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス」の提供が始まりました。

これは要するに、自宅のパソコンやスマホからデジタル化された資料や絶版本が見られるサービスになります。平たく言えば電子書籍閲覧サービスであります。これが国会図書館の登録者証があれば誰でも見られるということになります。


このサービスが始まると聞いて、以前登録していた国会図書館の登録者証を探しました。そうしましたら登録者証はありましたが有効期限がとうの昔に切れておりまして改めて登録し直したものでありました。

さて、登録方法についてですがこれまでは国立国会図書館で直接登録と郵送でやり取りする2種類がありました。今回のサービス開始と同時にインターネット上での登録も可能になりました。このネット登録は仮登録と本登録の2種類があり、前者はメールアドレスで行うことができ、本登録は身分証明を添付したファイルを登録時に送信します。確認には5営業日かかるようでした。


私は5営業日も待っていられなかったので、先週の土曜日に登録へ行ってまいりました。

出発前に下調べを行いましたが、現在国立国会図書館は一部の時間帯で予約制を実施しているようです。


朝早くなら登録利用者は入れるということです。私はGWの自転車レンタルの際に痛い目を見たので仮登録をしてそれを本登録にするという体で登録に行きました。

土曜の朝はやく、当日は大雨でしたが奥の新館入り口入ってすぐに登録カウンターで登録作業を行いました。現地まで行けばスムーズに登録が可能で、必要書類も保険証でOKでした。

実際にサービスを使う場合にはNDLオンラインからログインし、「個人向けデジタル化資料送信サービス」の規約に同意する必要があります。その後で、「国会図書館デジタルコレクション」にログインすると利用ができるという流れです。

国会図書館デジタルコレクションのトップページには検索窓がありますが、「図書館・個人送信資料」の項目にチェックを入れて検索すると、このサービスによる資料へアクセスすることができます。

資料の閲覧は、スマホとタブレットとPCで確認してみましたが現状、PCのモニター(20インチくらい)でみるとよく資料を閲覧できるというところです。今回の開放では硬い資料が多いですが、在野の研究者だったりあるいは物好きにしてみると福音なのかなというのが個人的に感じたところです。

それはなぜかということなのですが、国立国会図書館の電子化された書籍の閲覧サービスというは、自由に閲覧できるようにみえますが実は制約が大きいもので、国立国会図書館、公立の図書館双方で時間制限があって、その時間でなにかを見るとなりますと基本的に事前に閲覧予定資料をリストアップしないといけませんでした。自宅からですと時間制限がなくなる、即ち自由に見ることができるので、在野での研究のしやすさは格段に改善されたと思われます。

個人的には、かつて研究していた分野の資料だったり地理関係の資料が結構開放されたので、例えば街の施設の由来だったり、あのとき政治がどう動いていたか、何考えていたのかみたいなのがより明瞭に調べることができるようになったというのが一番うれしいところです。

そこと既存の図書館でもあるような資料と突き合わせていくと色々わかるところがあるのかなというところです。

終わり

2022年4月8日金曜日

メモ:当事者を敵視する当事者

https://twitter.com/hkni_n/status/1511508482410749956

個人的にこの見解は鋭いなと思いました。

吾妻ひでおさんの書いた漫画「アル中病棟」にも院内で障害当事者(入院)をバカにする障害当事者(通院)の光景が描かれていたのを思い出しました。これは通院経験した側の個人的な見解ですが、そういう見下しみたいなのは、見える見えない問わずあります。漫画もこの光景について吾妻ひでおさんらしきキャラが「外来患者だな お前もかなりヤバいぞ 青年」と心でつぶやいているわけです。


自分も観察でいろいろ当事者の話を見ていますと、当事者を攻撃する当事者というのはきれいな言い方であれば屈折した、明け透けもなく言えばやばい人が結構います。

ただこういうのは境遇とかルサンチマンだったりとかシニシズムなどがごじゃごじゃに混ざったようなのが多いです。それは当事者のコミュニティでかわされる話でいえば「発達障害の闇」なのかもしれません。しかし観察している限りではそれは発達障害の闇なのではなく本人自身の闇なのではないかなと思うこともあります。

私はそういう事例を見ながら自分がそうならないためにどうするかと考えることが多いです。

考えた上での結論としては、気晴らしだったりこれだったら負けない、自分の世界にインできるような領域があるとまた違うんだろうと思います。

そういう意味合いでは可哀想な感じはします。

終わり

2022年2月6日日曜日

メモ:目標に関するシートをどう管理するか

 通常、会社で働いていると目標に関するシートを書いたり提出します。1年間でどういうことを業務として行い、その中で新たに成果をだしたり成長するかについて記すものです。これらは可視化しいつでも確認可能・ないしは確認しやすい状態を作ることで常に立ち返り定めた目標への工程を確認することが望ましいとされています。

  • 当事者の雇用の領域では・・・
障害当事者の雇用の領域では、観察する限り次のような個人的認識があります。

○勤労者側:いわゆる就労層A(職務能力が高い層:参考)であっても、どう目標を定め実行するかに関するところの認識が弱い。結果しか語らない傾向。
○管理者側:事例研究などで見る限りでは目標管理を用いた障害当事者の雇用管理を行っている事例があるが生の声が聞こえない。

管理者側に関して生の声が聞こえないというふうに書きましたが、とはいい管理者側は目標管理を用いた雇用管理を障害者の領域でも用いているケースがあることは障害者雇用を取り扱った広報誌や研究発表で明らかになっていますので、問題ではないと個人的に考えています。しかしながら、勤労者側については問題があります。特に就労層Aは生産性が高く、職務能力も十分にあるはずなのに生産性を上げるためにどのようなことを実行したのかについて当事者側に言及をしている人が観察する限りにおいて驚くほど少ないように見えます。

今回、このメモでは勤労者側があまり語らない目標に関するシートをどのように管理するかについて個人的な考えを書きます。
  • 目標の進捗を管理する
障害当事者の雇用の領域では、勤怠の安定や生活の安定に重きをおいています。これはこれで重要なところで、勤務ができないとそもそもの能力の発揮も難しいからです。しかしながら、この2つの目的を達成したあとのことについて考えている人はあまり見ません。目標を達成した限りにおいては、次は生産性や成果の問題になってきます。障害当事者が雇用でより成果を残してく、成長する。ここで目標に関するシートの活用の仕方が役割を果たします。

重要なのは目標の参照の仕方についてです。この前書いた話ではありますが、書いた目標に関するシートは書いただけでは意味がありません。定期的に参照し確認することに意義があります。

参照しやすい状態をどう作るかという点ですが、これはいくつか方法があるかと思いますので提示してみます。他にも自分なりの方法も沢山あるかと思いますので最適な方法を考察してみるとよいかと思います。

1.紙に印刷して部屋の壁に貼り明示する
2.紙に印刷してクリアファイルにとじカバンにいれておく
3.電子出力などができる場合はそのまま出力し貸与PCの内部に採番整理したフォルダに置く。あるいはデスクトップの壁紙にする

定期的に状況を確認します。確認する際は意識するポイントがあります。

1.設定した目標の進捗状況→実行できている点とまだできていない点を確認する。できていない点についてはどうすれば実行できるのか、どう実行につなげていくのか考える

時間軸でより細かく見ていく場合は、ガントチャートなどを用いると達成に向けて明示化されたものを検討できると思います。

年間を通してとなりますので決まったタイムスケジュールで難しいところは時間の流れを見極めながら、あるいは上長などのすり合わせを経て修正を行うこともあります。

2.どうしても難しいところ→目標の修正(ソフトランディング)を行う

自分も恥ずかしながら最近わかってきたこととして、作ったもの(出力したもの)を参照することは体系的に整理整頓しないと活用することは難しいということです。いずれ書くとは思いますが、資格試験の勉強でこれは大変痛感するところがありました。

終わり

2022年2月4日金曜日

メモ:PC上のフォルダを採番整理する

たまには仕事上で行っている工夫の話をします。

  • 当事者の仕事の話をみると・・・
 個人の感想でありますが障害当事者の仕事術を見ていると、ツールの活用だったり精神的な気合に重点が置かれていて、そのツールを最適化させるための方法論がないという傾向が見えます。WBS(Working Breakdown Structure)やガントチャートは各項目の進捗を管理するのに適切ですが、これを引っ張り出すための索引の作り方、いうなれば交通整理について話をする人は殆どいないように思います。
  • フォルダ整理で採番をつける
 私は、今事務職で総務・経理業務を行っています。現職は4年目に入りました。事務職をやっていますと、通常、パソコンが会社から貸与されます。そしてそのパソコンを使って仕事を行います。パソコン内部のメモリにデータを保存したりクラウド保存であったり、様々あるかと思いますがここでは個人ファイルで保存する場合に実践していることについて紹介します。

 私は仕事をする際にフォルダ整理で採番をつけています。

 業務上で使うファイルをフォルダ整理したつもりが、番号をつけていないためにあちこちに分散することがあります。分散していてもフォルダ検索等でファイルを検索することは可能ですが、時間がかかります。大体1ファイルの検索に数分を要してしまうことがあり、頻繁に使うものであればそれでもロスする時間を減らすことができますがそうでないとロスタイムとなってしまいます。これらは業務が繁忙であるとき業務遂行上のリスクを抱えます。

 さて、採番の付け方ですが、自分は下記のような感じでやっています。
  • マイドキュメント(クラウドのマイドライブでも可)最上位の層のフォルダ名を000_○○○○○のようにつけます。フォルダを最上位の層に追加する際はタイトルの前に番号を001_、002_と記載します。
    • 最上位の層に作ったフォルダ(例)000_○○○○○)の中にフォルダを作ります。すなわちサブフォルダには000_に続いて2桁の数字を00から並べて記載する形になります。
      • 例:000_00_△△△
  • フォルダの番号と名称には関連性をもたせます。厳密にするかどうかは、実践した場合のそれぞれのケースによりますが、とどのつまり自分がファイルを探しやすくするのが目的なのでその目的によると良いかと思います。
  • フォルダ採番をすることで得られるかもしれない効果
 今更かよと思われる方もいるかと思いますが、このあたりの話は障害当事者の論でみかけることがあまりないので今回書きました。

さて、フォルダ採番で得られるかもしれない効果ですが、目標管理・業務進捗を把握する際の助けになるかと思います。通常、会社に勤務するとだいたいどこでも、年間を通して目標管理や業務進捗などを記録します。フォルダ採番を行う目的がファイルを探しやすくすることにおかれていますので、探しやすくなることを通して、業務における目標管理や業務進捗(※これは通常1年単位で設定されます)を振り返る際にデータを探しやすくなるイコールPDCAサイクルにおけるC(チェック)とA(アクション)を組み立てやすくなるということにつながります。

PC上、クラウド上のデータが整理整頓されていればより効率的に仕事の遂行だけでなくキャリアを組み立てやすくなるはずです。

業務の挽回の仕方についてはいずれかければ書きます。

終わり

2021年12月8日水曜日

雑談:障害者採用に闇はあるのか?

 Twitterで障害者採用の闇と題したツイートがバズっていた。

障害者採用に闇はあるのか。
曰く、「採用したあとにスキルが低いことなどを理由に自主的に退職させる」といったことが闇だと言う。

個人的に経験した限りで、見解を書くならばこの話自体がかなりあちこちから拾い集めて1つに濃縮したような話だと感じた。

140文字という文字制限の中では記載できることも限られてくるところはあるので、直接鵜呑みにはするべきではない。ただし、有期雇用の枠組みが多い雇用の実態を鑑みればある程度は実態を反映したツイートではあるので完全に否定できないところが難しいところだ。以下、有期雇用における障害者の評価の話を経験則やかつて読んだ資料から連想するところでは次の通り。
  • 障害者雇用(有期)で評価の軸になるところ
  1. 勤怠
  2. 仕事量
  3. コミュニケーション
  4. 支援者のレベル
それぞれの項目については別途機会があれば書きたい。

さて、話は採用の闇というところに戻るが、障害者雇用の場合だと「障害者トライアルコース・障害者短時間トライアルコース」というのがあって、いわゆる試用期間に相当する。試用期間は一般的に能力不足による解雇が通常より広く認められるとされている。


したがって、この期間は解雇の自由が広く解される、ゆえに事業者は適性をより見極めることができるとあるのだが、このあたりで解雇だったり契約不更新を闇と表現しているのではないかと個人的には読んでて感じる所はあった。

「自主的に」というのは「自主的に」行わせないとなかなか法的な難しさというのはあって、これは障害者に限らず全般的な傾向である。ただ「自主的に」が問われるのは契約更新の有無だったりその間での評価ではあるのだが、いずれにしろバズったツイートではどの事例、どの側面が闇なのかがよくわからない。自分が考えるところではおそらく次の3つあたりかなと考えたといったところだ。
  1. 評価の軸でひっかかったところがあった
  2. 試用期間における自主退職・解雇
  3. 契約更新の有無
とはいっても、この3つも結局適正な法的枠組みの中で起こる話なので闇という言葉自体ではなく実態をおぼろげでなくしっかりと伝えるほうがよりよい障害者の職業生活へのヒントになるのではと考える。

終わり

2021年9月8日水曜日

派遣を行う子会社の特例子会社化

 こういう記事がありました。

要するに、親会社の子会社で人材派遣などを中心に行っている東急リバブルスタッフ株式会社が特例子会社の認定を受けたという話なのですが、興味深い記事であったので少し調べてみました。するとJEEDの啓蒙雑誌である働く広場に紹介事例として取り上げられていたのを確認しました。


20頁〜24頁
該当箇所からざっくり見ると次のようなところでした。
模範事例といった形で取り上げられていました。
  • 業務支援を中心にした仕事内容
  • サポート体制の整備
2年後、21年3月号にはリーダーズトークのコーナーに障害者雇用の状況について言及がありました。これを見るとなぜ既存の子会社を特例子会社化したかという背景が見えてくるように感じます。文章を確認したところ、概ねこんなところではないかと思いましたのでざっくりまとめました。
  • 業務のAIやIT化に際して障害者の長所をどういかすかという問題
  • 障害者雇用のチャレンジの幅を広げたい。
  • サポート体制のシステム化
1点目のAI・IT化については言葉を変えればDXとも言いますが、これが進んでいる中で今までだったら求められるようになってきている。そこにどう対応するかスキルを習得させていくか、21年3月号の該当の記事には量より質であるという話がありましたが、たしかにそうで色々とネットの障害当事者の話を閲覧する限りでは、ある程度整っている会社であれば内製化していったほうがトータルの費用は安くなるのかなというところは考えるところがあります。2点目については、ここは完全な推測になってしまいますが、業務支援で身につけた仕事を様々な評価を経てグループ内の会社に派遣(参考1)し、活躍することを通して、将来的にはグループ内の会社の社員として完全な定着をさせていくことを狙いにあるのかなと感じました。グループ内適用(参考2)を実施しているのであればそのような運用も不可能ではないでしょう。ここについては完全に自分の勝手な考えではありますのでご容赦ください。3つ目はこのようなものはサポート体制が属人化するところがあって、システム化することで安定した運用を目指す意図があるように見えました。

  • リンクによれば派遣労働者の障害者雇用の場合派遣元事業主に雇用義務が課せられるという。

終わり

2021年7月29日木曜日

やまゆり園事件から5年 個人的な影響


やまゆり園事件から5年が経ちました。
この事件は障害当事者として非常に衝撃が大きく、生きることに対する考え方も大きく変化したという点で影響の大きい事件でした。
  • 事件当時の感想
朝のニュースの中継映像を見て唖然としたのはよく覚えています。
そして、数日後に教育テレビで放送された「ハートネットTV」の緊急特番で身を裂かれるような当事者の声を見て号泣したこと。さらには、この事件の犯人がなんと同じ大学の出身であったことを週刊誌で知り更にショックを受けたこと。事件を巡って差別的な発言・見解をする友人の反応を見て愕然としたこと。

色々思うところが当時ありました。
こういったことからちょっと感傷的ではあるのかもしれませんが贖罪という意味を込めて献花に行くということも行いました。写真は撮りませんでした。こういうのはある種の信念で行くもので写真は撮らないに限るものだからと考えていたからです。

  • 献花に行ったこと
献花に行ったのは事件から1ヶ月ほどたったころでした。実家からは距離がそんなに離れていなかったのですがアクセスは非常に悪かったです。

近郊電車を乗り継ぎ、乗換駅で花を買い、花屋の主人にいくつかの話を伺い、電車を乗り換え相模湖駅で降りました。そこからバスに乗っておおよそ30分ほど。しかしそのバスも1時間に1本で1度降りると折返しのバスとして戻ってくるまで待たなければならない。車で行くにしても中央道の相模湖インターあるいは相模湖東出口からのアクセスになります。

事件前より、論考や論文を見たとき、障害者施設が非常に山奥に作られていたなどという話を見ましたが、ああこういうことかというのを実感しました。

  • 個人的に納得があった論
事件当時、専門家だったりとかパラリンピアンなど様々な人がこの事件に対して論を展開していましたが、このあたりであんまりピントが完全にあったものがないなぁと思っていたのですが、国立精神・神経医療研究センター病院の松本俊彦さんが当時、ヨミドクターの連載で掲載した記事の末尾は個人的な経験から納得がありました。


すべては「タラ・レバ」の話です。しかし最近私は、もしかすると今回の事件は、「障害者が障害者を殺傷した」という悲劇的な構図であったのではないかという考えに傾いています。

要するにある種の人間の闇なのですが、その人間の闇を形作るのはなにかということを考えると、様々な要因が絡んでくるというのはあるんだろうなぁとはこの頃から思うことです。

  • 最大の変化
この上で、この事件以降の自分の考え方の変化といいましょうか、自分が持つニヒリズム・シニシズム に対する感覚が変化したというのが一番大きいです。結局、事件の背景にある全体主義的思想などを見るとこのようなものが台頭するところには、どうしてもニヒリズムやシニシズムだったりはあるわけでつまるところこの事件の死刑囚はこういう考えがかなり強い人間だったというところだと思います。だからこそ、こういう考えと正面から向き合って、ある種のニヒリズム・シニシズムの克服・コントロールをしていかなければならないのだという思いが強くなったものです。その上で、障害当事者を見るとそういったところを克服できていない人も結構いるんかなぁと思うところはあります。


終わり

2021年7月6日火曜日

考察:施設外就労の先に

 こういう記事がありました。

障害者に活躍の場を 工場で短時間就労受け入れ 人手不足解消も(毎日新聞)

大まかな内容は以下の通り。
  • 施設外就労の形式で短時間勤務を行う
  • 人手不足の緩和・解消を狙う
まぁいいことばかりのように見えますが、報酬体系がどのようになっているかが記事からは見えないことや、単純に人手不足の緩和・解消だけが目的なのではないかなど正直なところ不安もあると感じます。

個人的にレポートを読んだ上での感想なのですが、施設外就労というのはよく聞くところで、工賃の上昇だったり、就労へのステップという観点で行われているというところではあります。どうもこういうのが広がっていくと障害者枠での一般就労がテレワークを除けば都市部だけのかなり限られた枠組みになっていくのではないでしょうか。

人手不足という観点から見れば、施設外就労の取り組みはある種の合理性を担保しうるところはあるのでしょうが、就労移行支援やいわゆる就労継続支援B型は最低賃金によらない制度なので人手不足と最低賃金によらない枠組みの名のもとに障害者が買い叩かれてしまうのではないかという懸念は感じるところがあります。

「技能実習制度」がその制度趣旨とまったく違うことが行われ結果国際的に評判が良くない状態が続いていますがこれと類似性を感じます。「技能実習制度」はさすがに外国人に劣悪な待遇をやめるような改正または改廃が遠くない将来になされたとき、その代替として障害者就労にその劣悪な待遇が向かうのではないか。これを個人的には懸念しています。

終わり

2021年7月2日金曜日

雑記:障害者の賃上げストについて

 こういう記事がありました。

障害者が賃上げスト オリンパス特例子会社「生活できぬ」 渋谷 /東京(毎日新聞)

 光学機器メーカーオリンパスの特例子会社、オリンパスサポートメイト(八王子市)の障害を持つ労働者が21日、生活できる賃金への引き上げを求めて終日ストライキをした。

この記事ですが先週紙面で見て驚きました。特例子会社でストとか聞いたことがないからです。

さて、記事によれば賃金が安すぎるというのが主張の大まかなところなのですが内容が短めなので詳しい事情に関する記載があまりありませんでした。

後ほど、しんぶん赤旗にもう少し詳しい事情が書いてあることがツイート検索で判明したので在宅勤務の日に業務終了後、図書館に行き紙面を見て確認しました。すると次のような事が書いてありました。

1.昨年、個人加入型の組合に加盟し正社員登用される 2.正社員登用されても給与が上がらずベアを申請するも希望額を提示されずスト実行 3.一般の正社員が行っていた業務に関しても当事者は従事しており不公平と主張

この3つの項目を見ていくつか考えるところがありました。

1.については、おそらく交渉があったことが伺えます。2.については、組合経由で正社員化したケースということになりましょう。3.に関しては障害者雇用の形態を検討する必要があります。

個人的に非常に重要な論点になりそうだなと思ったのは3.でこれは障害者雇用、とりわけ特例子会社という形態が持つ問題でもあります。

まず、特例子会社という言葉についてですがこれは障害者雇用促進法に基づく障害者雇用をすすめるための会社です。私は特例子会社に入ったことがないので伝聞でしか知らないのですが、障害者雇用をすすめる上で特例子会社を認定をうけると法律上の助成を受けることができます。給与テーブルは、一般企業と違うことが多いです。これは、特例子会社を運営するに当たり、様々なハード・ソフト面での結果であるといった形で言及するケースもあるようです。差別的な取り扱いかについては議論がありそうです。

今回の件ではこのあたりを問題視しているのだと思われます。これも自分が今までに見た資料などもとにした話でしかないので話半分ではありますが、実際コストダウンを意図して障害者雇用に切り替えるなどという話も聞いたことはあります。とはいい障害者の労働者も生活がかかっているのでとどのつまりは”金”の問題ということになりましょう。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...