たまに修士課程の際にお世話になった大学院へ行くことがあります。
目的としては基本的には暇つぶしや交流なのではありますが、この歳になってゼミを聞いていると発見があり刺激になっています。その内容を紹介したいと思います。項目は3つです。
- 基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
- 研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
- 教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
それぞれ解説します。
1.基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
ゼミで書く論文というものは教育的な側面があり、色々見てざっくりといえば、起承転結を論文という形で整える時間です。
例えば、論文の計画があり、計画をどのような方法で展開し、そこから得られたもので見える解はなにか、主張はなにかというのをやります。
ただし、これには根拠が必要でそれは本や論文などの先行研究(これまでのあらすじとも言える)や、各種データ、事例などがそれに当たります。先行研究はレビューなどを通して検討を行います。
データは色々ありますがそこには若干の気づきがあったので次の項目で記載します。
2.研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
ある決まった年限の中で(通常学部は1年、修士は2年です)、風呂敷を広げてたたむということも求められます。風呂敷は広げっぱなしではいけない。
データの収拾方、取り扱い方がそうで、これは仕事でも同様なのですがある課題や課業があるとして、それは決まった時間、あるいは確保できた時間の中で処理しなければなりません。
学部や研究科でも同様であり、それはむしろ社会で勤労者として働く前に身につけるものであります。これは私は残念ながら現役の学生であるときは気が付きませんでした。
処理といいますと、これは本人の力量によるところは大きいところがあると思います。例えば、あるデータ(仮に人口統計とします)があって、これを図表として任意の形で処理するには、表計算ソフトに起こし加工をするわけですが、これができるスキルがあるか。あるいはいろんなツールの発生や利活用を見聞きすると、この頃では情報処理に関するスキルの有無が論文を作成する上で、重要になっていると思います。言い換えれば文系でも理系の知識が必要といったところです。それだけ情報が高度化してきていると思います。
加えて言えば、就職したあとも、情報処理を求められることが増えているような気はします。情報処理に関する基本的なスキルを早い段階から身に着けていれば文系でも何かに取り組むとき助けになるかもしれません。
3.教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
観察しているとそれはすごく感じるところがあって、教育機関だからこそすり合わせをしながら作っていくというのは大きいです。言い換えれば、アウトプットだけを求めるのではなく、教育課程ではインプット方とアウトプット方を育成するところに焦点をあてるのはおそらく本人も成長できるというところでしょう。
今はどうか知りませんが、大学院は悪い意味でガチャみたいなところがあります。いい先生に当たれば、面倒よく色々見ていただけるのですが、悪い先生に当たると、適当にあしらわれて個人戦になって潰れるなんていうケースもよくあります。私もかつて見聞きしただけでもいくつか潰れた話を聞きました。
その上で、警句めいた感じになってしまい、誠に申し訳ないのですが最近一部の働く発達の当事者の中には大学院に行って研究を書きたいという方もたまに見かけます。本当に気をつけてください。社会人の大学院というのは色々ありますが、基本的には教授の相性だけでなく、仕事しながら通う形になりますので非常に時間がとられます。夜間を中心に通う形になりますが、平社員だとかなり厳しいです。ゆえに企業のお金と勤務の枠で行くのがある種の常道であるし、そういうルートではなく通常ルートでしかし当事者だから行きたいという情熱と夢だけで達成できるほど、生易しいものではないとだけは言っておきます。
終わり
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