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2023年10月9日月曜日

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476

この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。

一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬みや僻みが多く見られる一面があります。

吾妻ひでおの「失踪日記2 アル中病棟」の307頁に「貧乏すると 卑屈になるね」という一文があります。障害者は、お金の手持ちの少ないケースが多いです。

Google検索をもとに生成AIのBARDを使って探索したところ、厚生労働省の「平成30年度障害者雇用実態調査」などをもとに次のような回答を寄せています。
  • 平均年収が200~250万前後
  • 大企業の場合は250~350万円前後
だからなのでしょうか。
障害当事者の中には「稼げない障害者のイメージ」に対してコンプレックスを持っている人もいるようです。しかし、それは冒頭のリンクにあるように「加害者に生まれ変わる」ことでしかないと思います。

ここからはあくまで個人の考えですが、上記のように至ってしまう障害当事者には次のような傾向があると考えています。
  1. 金のことばかり考えておりそれがコンプレックスになっている
  2. 健常者と同じように補助なしで暮らせるものと思っている
1.と2.をわけて書きましたが、実際はほぼイコールです。健常者に対する憧れのようなものが彼らにはあり、そこに近づき達成することで、目的が達成されます。努力をしないとみなした同じ障害当事者には差別的言辞を投げかけ、その努力不足と称するものをあげつらう。

その根底には健常者と同じように補助なしでも暮らせるようにありたいという歪んだ欲求が隠れています。哀れなことに彼らはそれに気づいていません。それ故に根深い問題が横たわっているのであります。

「加害者に生まれ変わる人が結局誰よりも弱いんだ。」
冒頭のリンクの中身ですがこれは本当に名言だと思いました。

終わり

2022年12月29日木曜日

雑記:鉄道の日を巡る話

 鉄道の日の由来は1872年に日本で最初の鉄道がこの日に新橋と横浜間で開通したことにちなんでいる。

鉄道雑誌の巻号も22年10月となりドコモの読み放題Dマガジンで読むことのできる鉄道ファンでは、鉄道開通から150年間の車両の歴史を取り上げていた。出勤中にスマホで読んだが汽車から貨車まで幅広く興味深いものであったし、その時々で開発される車両のトレンドがあることを確認できた。

展示類も記念展示が多く、首都圏の交通関係の記念館・資料館でもホームページを見る限りでは鉄道150年にちなんだ展示がたくさんあったことがわかった。

私はこの間汐留にある旧新橋停車場の企画展示を見学した。真新しいものはなかったが、展示から初期の鉄道に関する流れを見て、当時の鉄道に対する熱意などを感じた。

8月も終わりに近づき、まもなく9月。季節も秋。秋といえば○○の秋とかいいますが、鉄道も催し物が花盛りの時節なので今年は鉄道イベントも楽しんでいきたいと思っているこの頃であった。

終わり


2022年12月28日水曜日

雑記:健康診断

 きょうは健康診断の話である。
厚生労働省によると毎年9月は職場の健康診断実施強化月間とのことである。

 高校の頃の同級生で友人が健康診断で使う巡回検診車を運転する仕事をしているのだが、今この季節は巡回検診車をあちこちに回していたりするものだ。

 さて、健康診断の歴史ですが明治44(1944)年制定された工場法に健康診断を定期的に行う旨が明記され、それは昭和22(1947)年に施行された労働基準法にも引き継がれたといわれている。

 厚生労働白書の平成26年度版(第1章 我が国における健康をめぐる施策の変遷より)によると当初は結核検診に重点が置かれていたとあった。関連する表を見るととりわけ戦前から戦後間もない頃までの病気の統計には結核による死者が非常に多く、結核との戦いの歴史でもあったことも伺われる。

 戦後暫く経つと、疾病の割合に変化が起きたので、健康診断を含めた保健衛生の目的も変化していったとのことであった。世の中を見ると様々な施策が行われる時期でもある。健康に焦点を当てて色々取り組んでいきたい。

終わり

2022年12月27日火曜日

雑記:放送記念日とNHKプラス

 3月22日は放送記念日である。放送記念日は、1925年、大正14年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始したことに由来している。

さて、最近放送関連でよく使っているアプリがある。NHKプラスである。NHKプラスは、受信料を払っていれば放送された番組を同時配信と放送後の1週間後追いで視聴できるアプリである。似たようなアプリですと民間放送系がTver、ラジオですとradikoがある。私はNHKプラスからこのようなアプリを使うようになったが、使っていく中で今まで注目しなかった番組(例えば、専門分野や特集やバラエティーなど)を任意の時間に見ることができるようになったので結果的に視野を広げるのに役立っている。4月からはスマートテレビにも対応するそうで、地上波をそのまま見るよりは画質は落ちるようですが、それなりの画質で放送後に見ることがテレビでもできるようになるようだ。テレビの楽しみを広げることができる良いアプリだと思うので興味があれば導入いただければと思う。

※朝礼に際してネタを考えたが、読み返すとやはり起承転結が弱いのを痛感する。

補足
NHKプラスのいいところ
  • CMがないこと
TverはCMがあり、これが結構鬱陶しい。民間放送主体なので当たり前の話なのではあるが、働く人には時間がないのでCMはもったいない。
  • 夜中に追いやられている番組をいつでも追いかけでみることができること
NHKにはいろいろな番組があり、民間放送よりも番組のジャンルがかっちり分けられている。また、夜中に放送されている番組や午前のとてもサラリーマンが見るには難しいような時間帯の番組でも気軽に視聴ができる。教育テレビあたりで埋もれている番組を見ることができたことは嬉しかった。
  • 情報が一応体系的に整理できること
これは前の項目とも重なるところがあるが時間の枠組みを一定程度取っ払ってくれるので情報整理にとても重宝する。例えばニュースを1つとっても次のように分類が可能。
  • 国際ニュース:平日の朝(期間限定)と翌日の早朝、土曜に放送がある
  • 地方ニュース:平日昼に放送、夕方は各地の放送を配信で閲覧可
  • 総合ニュース:毎日、放送
それぞれの専門の領域がチャンネル内で確立されているのは知識を一定程度深めることができるのでそれなりに重宝する。

個人的には社会福利に貢献する良い取り組みだと思う。

終わり

2022年12月16日金曜日

雑記:就農の危うさに関して思うところ

この記事の続きの話です。 

技能実習制度見直しへ 有識者会議 制度の存廃や再編含め論点に(NHKニュース)

やはり動きがありました。
以下引用です。
今後の論点として、
▽技能実習制度を存続するか、廃止するか、
▽人手不足の12分野で外国人が働く「特定技能制度」に一本化して再編するのかなどのほか、
▽技能実習生の受け入れを仲介する監理団体の在り方などを含めて検討することを了承しました。
 このような動きで技能実習制度の見直しが行われた場合、その場合の代替は私の考えるところでは障害者、並びに障害者と農業あるいは工場現場との関係性で捉えられることになるでしょう。なぜそう考えるか、それはつぎの2点。

  • 障害者と農業への就労との関係性:これは就農であるが、これは都市と地方を問わず一定の動きとしてすでに成立している
  • 就労継続支援B型事業所:すでに施設外就労という形で取り組みが行われている。施設外就労で加算もあったりなかったりするが実習という形式や法の枠組みとして就労継続支援B型事業所は最低賃金を適用しなくても良いという特徴がある。
技能実習制度が抜本的に変わった場合、最低賃金以下で雇うために上記のスキームを援用・拡大する形で障害者が技能実習生の代わりを担うことになるだろう。その場合あくまで個人の推測だが、障害者の人権保障が難しい事態が生じるのではないかと懸念する。

最後に、こうなるのではないかという発想に至ったのは、障害者の就農が世界史の古代ローマにおけるラティフンディア(世界史の窓)に似ていると思ったからである。

終わり

2022年10月9日日曜日

雑記:20代は何でもできるという話

 この頃はTwitterも高齢化が進んできたようで、バズる話も若さではなく若いことの偉大さみたいな話が増えてきている。

そんな話を見て、自分も10年くらい前のことを思い起こして書いてみようと思う。

この前、アラフォーになった私が20代だったのは今から15~5年前のこと。

昔、自らが精神病と向き合うために書いたドキュメントを振り返るならば、そこに書かれていたことは短く言えばつぎのようなものだった。
  1. 好きなことばかりやっていた(サークル、オフ会、政治学)
 Twitterなどによるとこの頃の若い世代は損得勘定で自分の趣味を決定するところがあり、それ故悩ましいことになるみたいな話を聞く。

 右へ左へわけもわからず飛び回った自分から見ると、最近の若い世代はとても大人びているように見える。しかし、"若さ"というのはある種の特権でもあるのでそれを生かしてどこにも飛び回らない生活をしていくというのは寂しいものを感じる。

自分は今思えばわけもわからず飛び回っていたが、結局コスパも損得も考えないことで自らの問題に割合早い段階でぶち当たり今に至るきっかけを作ることができた。

これは副産物だと自分では思っているのだが、役に立たないけど好きなことにアホみたいに打ち込めるのは20代、それも学生時代がマックスなので若いうちに打ち込みたいと思ったことはどんどん打ち込んでおいたほうがいい。

それが将来の財産になると自分が学生時代のころ先人のおじさんおばさんたちは言っていたがこれはやっぱりそうで、この面白いところは直ぐに反映されるわけではなく、年月の経過とともに少しずつ反映されるみたいなところがある。ある日トイレで用を足しているときに突然反映されることもある。そういうものなのだ。これは20代後半くらいで気がついた。

それを踏まえて1つ言及する。

  1. 20代の発達障害者はやりたいことに打ち込め
 自分が、こういうふうに好き勝手やって人に言われても止まらなかったのは今思えば発達障害だったからであるのと、親がその辺をあまりうるさく言わなかったからである。病気を認知する段階では親はうるさく言っていたが、それとは別に専攻や趣味などに関してはあまり言わなかった。

 専攻や趣味にうるさく言わなかったのは今になってなんと幸いだったかと思う。ネットの当事者を見ると、抑圧されたり、うまくレールを作ることができず迷走していった人が結構いるからである。

 一方で当事者でも20代で好きな様にやっている当事者はいきいきしている。年配のおそらく抑圧され続けた当事者からやっかみがたくさん飛んでくるようだが、それに負けず(ブロック、ミュートを使いこなして)に奮闘してほしい。

 若さはある種の特権であり、そこで築いたことが今後につながる。築いたことからの上積みで生活は成り立つのだ。

終わり

2022年8月10日水曜日

メモ:ともに暮らすということ

お盆休みなので発達障害と結婚に関して以前ツイッターに書いた話をまとめます。

1.ともに暮らすということの効用と発達障害

発達障害当事者の議論を見ていると、ともに暮らすことを諦めている人がいるようです。

これはとてももったいない話です。

ともに暮らすということは結婚だけでなくパートナーシップや事実婚も入ります。

さて、配偶者やパートナーとともに暮らすと何が変わるかというところですが、いちばんわかりやすいところで言えば、馬力が1から2になることです。馬力という概念は人だけでなく金なども入ります。
この変化はびっくりするほどローリスクです。これは株式投資をするよりリスクが低いです。

自分も一応発達障害と向き合っている身なのですが、自分の考えとしては発達障害者の結婚・事実婚などに関しては無条件で肯定します。おそらく、否定する側は引け目を感じているのかもしれませんがはっきりこの考えは無意味です。ともに暮らす機会があればぜひ暮らしたほうがいいです。

「私なんて人様の迷惑になるかも・・・」
とか思う人も中にはいるかもしれませんが、人間社会は迷惑をかけてかかされる螺旋のようなものであるのでそこは堂々としたほうがいいです。

その上で、結婚や事実婚のあとのことについてですが、結婚をしたということがゴールではないことを認識する必要があります。

結婚やともに生活をはじめることは通過点でしかないです。言い方を変えればその通過点をすぎても学ぶ事がたくさんあります。むしろパートナーや婚約者とともに歩むことでいろんな意味で脳が刺激されます。この刺激を通してまた学びが深まっていくのは実感としてあります。お互いに分かち合い、話し合い、折り合っていくという課程の繰り返しなのですが、これがお互いの感性を豊かにしていきます。そのためにはお互いにリスペクトが求められます。

2.色々見ていくと・・・

そして、どんなに非モテであろうとなかろうと結婚とか出会いとかそういうのは直感みたいなのがあります。古い言い方かもしれないけど直感は大事にしたほうがいいです。必ずターニングポイントっぽいものがあります。私は恋愛に関しては、直感を重視し今結婚しています。

直感というのは、第六感だったりはじめて異性を見たときにビビっと頭の先から足の先まで貫くような感覚だったり、あるいは「この人と私であればそのうち○○な状況になるだろう」みたいな感覚です。結婚したあとに、いろいろあちこち聞いていると意外とこの感覚を受けた人というのはいないもので、私と同じような経験をした人は数人しかいませんでした。かなしぃなぁと思ったものです。

終わり

2022年6月19日日曜日

雑記:新聞をくまなく継続的に読んでいるという話

私は毎朝新聞を読んでいます。ただし紙では読まず電子版や紙面ビューアーアプリで読んでいます。かれこれ3年位続けております。

最近はどうか、知りませんが社会人あるいは大学生になると新聞を読めと言われていたものです。新聞を読むということですが私の経験から言うと発達当事者ほど新聞を毎朝見てほしいと思っています。何故か。結論を先に言えば、世の中への視野を一定程度広げるという点で未だに新聞は有効であるからです。新聞には分野ごとに話題を取うページがあります。わかりやすい所で言えばテレビ・ラジオ欄、一面、社会面、経済面などです。深いところを行くと生活面や社会保障に関する話題など多岐にわたります。

新聞の最初のページである一面から最後のページであるテレビ欄(※:新聞によってはテレビ欄がが最後のページでないこともあります)をくまなくざっと確認してほしいです。

新聞を幅広く閲覧することで、物事の視野を広げることができます。
自分の例で言えば、新聞をちゃんと読む前は社会保障や老後資金に関しては興味がありませんでしたが、新聞を読むことで関心を向けることができるようになりました。また、生活や文化・科学・地域にも関心を向けるようになりました。

このように新聞には関心を広げるという点で効果があります。これは実感としてありましたので当事者の方には是非推奨していきたいです。

とはいいつつも、よく「今はネットがある!」という意見を見かけることもあります。確かにネットニュースは新聞では取り上げない専門的な情報もあるので使い方次第では知識を深めることができます。だが、これは基本的な知識があればの話です。よく発達当事者で、情報共有として無料のネットニュースを大量に紹介し意見を記載しているアカウントがありますが、あれは情報の紹介としては本来正しいあり方ではないと思います。

終わり

2022年4月8日金曜日

メモ:当事者を敵視する当事者

https://twitter.com/hkni_n/status/1511508482410749956

個人的にこの見解は鋭いなと思いました。

吾妻ひでおさんの書いた漫画「アル中病棟」にも院内で障害当事者(入院)をバカにする障害当事者(通院)の光景が描かれていたのを思い出しました。これは通院経験した側の個人的な見解ですが、そういう見下しみたいなのは、見える見えない問わずあります。漫画もこの光景について吾妻ひでおさんらしきキャラが「外来患者だな お前もかなりヤバいぞ 青年」と心でつぶやいているわけです。


自分も観察でいろいろ当事者の話を見ていますと、当事者を攻撃する当事者というのはきれいな言い方であれば屈折した、明け透けもなく言えばやばい人が結構います。

ただこういうのは境遇とかルサンチマンだったりとかシニシズムなどがごじゃごじゃに混ざったようなのが多いです。それは当事者のコミュニティでかわされる話でいえば「発達障害の闇」なのかもしれません。しかし観察している限りではそれは発達障害の闇なのではなく本人自身の闇なのではないかなと思うこともあります。

私はそういう事例を見ながら自分がそうならないためにどうするかと考えることが多いです。

考えた上での結論としては、気晴らしだったりこれだったら負けない、自分の世界にインできるような領域があるとまた違うんだろうと思います。

そういう意味合いでは可哀想な感じはします。

終わり

2022年2月16日水曜日

雑記:仕事の進め方 その1

障害当事者の記事や書き込みを見ていると仕事できない、もしくは根拠は出さないけど仕事できるアピールばかりでどう仕事ができ、どう課業をこなしているのかについての記述が薄くモヤッとするところがあるこの頃です。ここでしばらく仕事の進め方と題してヒントを記載してみようと思います。
  • 1回目:仕事のスケジュール感を考える
  • 2回目:業務の可視化と1日のうちの勤務時間を考える
  • 3回目:業務外だけど業務に関係することを考える
  • 4回目:業務外にどう時間を作り目標達成へ近づくかを考える
  • 1回目:仕事のスケジュール感を考える
障害者雇用で会社で仕事をしていても、社内の流れとして年間のスケジュールは出てきます。


業務というのは通常、1つではありません。障害者雇用でも複数の業務が1人にあたりに割り当てられるケースが多いです。場合によっては1つの業務しかないケースもありますがここでは複数の業務があるという前提で話を進めていきます。

今、この図で示した業務A〜Eがあります。これは、どの業務も均等な量であるわけではなく時期によってA〜Eのボリュームが大きくなったり小さくなったりします。また業務のボリュームが変わらない仕事もあります。横軸あるいは縦軸で時系列でボリューム感を記載することで業務の感覚をより掴むことができるでしょう。

これは項目Aを細分化したものです。
細分化した仕事にはどういう仕事があって何をするかを書くと仕事がわかりやすくなります。1ヶ月のどの時期にどれくらいの業務が起こるかについても書きますが、これだけでは現実問題、管理は無理なのでさらに可視化をします。この可視化は概念図ではなく他のツールを使います。

自分の場合はPC上の予定表と表計算を使っています。
予定表では、タイムスケジュールで何時から何時まではこれ、何時から何時まではこれと細かく設定しその時間内でやりきることを目標に取り組んでいます。表計算ではチェックリストを作成し、実施状況を見てチェックマークをつけ進捗を管理することで業務遂行を円滑化しています。

次の回では、発達障害の当事者である自身が業務習熟に取り組みためにどのような可視化をやっているかを記載します。

項目としては簡易マニュアルと時間配分としての勤務時間表をとり上げる予定です。

続く

2021年8月26日木曜日

パラリンピックの開幕

東京オリンピックが終わり約2週間。
今週、パラリンピックが開幕しました。

障害当事者でもあるのでこの話題について、少し触れておきます。


新聞にはパラリンピックの歴史について取り上げられていました。
それによると歴史的流れは次の通り
  • 1948年:イギリスの病院で障害者によるアーチェリー大会が開催
    • ストーク・マンデビル病院 ルートヴィヒ・グッドマン医師
  • 1960年:五輪開催後のローマで開催。第1回パラリンピックとされる
  • 1964年:五輪開催後の東京でパラリンピック開催。「パラリンピック」の愛称を用いる
    • 「パラブレシア(下半身のまひ)」と「オリンピック」をあわせた造語
  • 1988年:ソウルパラリンピックよりIOCは正式に「パラリンピック」の名称を認定
    • 「パラレル(並行した)」「オリンピック」という意を持つように
  • 1989年:国際パラリンピック委員会(IPC)が創設
  • 2000年:IOCとIPCは五輪開催国にパラリンピック開催を義務付け
競技は障害の程度によってクラス分けされるという。この辺は自分はよく知らなかったので記事を読んで勉強になったが、曰く「まずTかFか」で分類され、その次に障害の種類で1〜6に区分けしさらに障害の程度で数字を分類するという。

近年は、障害者の祭典としての性格だけでなく、最新技術のショーケースのような側面を持っているとされ、焦点は当たりづらいですが、奥の深い事情を持っていることがわかる。

今回は開会式が話題になったが、64年の開会式の様子については次の記事で取り上げられている。


それによると、開幕式は五輪の2週間後の11月8日。東京・代々木公園陸上競技場だったという。行進のときに流れた曲は「上を向いて歩こう」だったという。なんでも寄付金を募ったり、チャリティコンサートを開いたりした経緯があったという。この点は読んでて興味深いものだった。

その他当日の様子が様々書かれているので興味があれば有料登録となるが閲覧が可能である。

終わり

2021年8月1日日曜日

選択的週休3日制と障害者雇用について

 こういう記事がありました。


選択的週休3日制は、柔軟な働き方を選択できる制度で介護や育児の過程にある人の離職や仕事やボランティア活動などの両立をすすめるとされていると記事にあった。いくつかのトピック(2点ほど)をあげてこれについて考えるところを障害者雇用の視点で言及したいと思う。

なお、記事自体はバランスの良い構成になっている。論者は株式会社ワーク・ライフバランス社長小室淑恵さん、同志社大学教授太田肇さん、SOMPOひまわり生命保険執行役員人財開発部長の邨上英彰さん。それぞれの論を見ると、小室さんは理論的な枠組み、太田さんは実態の話、邨上さんは制度の実際を企業の立場から書かれているように見えた。

トピック
小室淑恵さんは次のように言及している。
現在、人手不足が指摘されている。しかし、育児や介護を抱えたり、障害があったりして週5日のフルタイムの勤務が難しい人たちは企業に採用されにくい。採用されても、非正規雇用で給与を抑えられているケースが多い。
続けて、この原因は週5日働ける人が労働力とされていることを指摘し、そうでない人は正規雇用として認めてこなかったと主張している。その上で、正規雇用の基準を変えればそのようなことを変えることができるとしている。

続いて、太田肇さんは日本型の雇用システムをあげながら次のように説明している。
 欧米企業のように、それぞれの社員の役割分担や職務範囲が明確になっている組織と異なり、日本では企業という共同体のなかで社員が部門や組織の一員として仕事をしている。
欧米のジョブ型と日本のメンバーシップ型の違いの提示を行っている。その違いに基づいて制度導入したときの難しさ、選択的週休3日制を導入した場合、減少する可能性の高い給与面での問題や副業を行ったことによって結果的にメンバーシップ型での帰属意識の低下などを誘発する可能性があることを指摘している。

最後に邨上英彰さんの話として、制度を実際に利用している人の殆どが女性であることに言及し、男性の利用が少ない背景として昇進・評価への影響があるのではないかと推測していた。

ここまで見たときに個人的に考えたことは2点。
  • 柔軟な働き方と障害者
  • ジョブ型とメンバーシップ型
  • 柔軟な働き方と障害者
一見、この選択的週休3日制という制度がすべての階層に適応されうるように見えるが、障害者雇用の実態を見ると、ここで語られている内容は日本型雇用システムの枠組みに収まった層が様々な困難に見舞われたときのバッファ(緩衝装置)としての選択的週休3日制の概念であって、障害者雇用のカテゴリに応用するのは現段階では難しいと見ざるを得ないというところと考える。言い換えると、次のようになる。

    • 正社員 → 多様な働き方としての選択的週休3日制(介護・入社後の障害)
    • 障害者雇用 → ✕ 多様な働き方としての選択的週休3日制
  • ジョブ型とメンバーシップ型
その要因としては雇用形態が違うということが挙げられる。例えば、この議論でいう正社員はメンバーシップ型である。メンバーシップ型は、長期雇用を基本としたものである。できるだけ長く雇用を行うということが前提として考慮されている。それ故、多様性を持った勤務形態を導入することでできるだけ長く活躍いただくという事が成立する。ここの論では小室淑恵さんに限って、障害者を考慮した言及をされていたがこれも実態を考えるとメンバーシップ型をベースにした話につながって来ると考えられる。一方で障害者雇用はメンバーシップ型というよりはジョブ型が多い。ジョブ型は職務を限定した勤務形態である。日本ではあまり一般的ではないが、障害者雇用では職務を限定した業務を割り当てることが多く障害者雇用に関して言えば一般的である。雇用形態もメンバーシップ型は無期や正社員なので簡単に解雇はできない。一方で障害者雇用では契約期間を定めて勤務を行うケースが多いので、契約更新時にその間の勤務実績をもとに契約更新の可否を決定していく事が多い。このようなことから、障害者雇用においてこの形態を適用させるのは日本型雇用システムの枠組みから見ると難しいというのが現状の個人的な見解である。

終わり

2021年7月29日木曜日

やまゆり園事件から5年 個人的な影響


やまゆり園事件から5年が経ちました。
この事件は障害当事者として非常に衝撃が大きく、生きることに対する考え方も大きく変化したという点で影響の大きい事件でした。
  • 事件当時の感想
朝のニュースの中継映像を見て唖然としたのはよく覚えています。
そして、数日後に教育テレビで放送された「ハートネットTV」の緊急特番で身を裂かれるような当事者の声を見て号泣したこと。さらには、この事件の犯人がなんと同じ大学の出身であったことを週刊誌で知り更にショックを受けたこと。事件を巡って差別的な発言・見解をする友人の反応を見て愕然としたこと。

色々思うところが当時ありました。
こういったことからちょっと感傷的ではあるのかもしれませんが贖罪という意味を込めて献花に行くということも行いました。写真は撮りませんでした。こういうのはある種の信念で行くもので写真は撮らないに限るものだからと考えていたからです。

  • 献花に行ったこと
献花に行ったのは事件から1ヶ月ほどたったころでした。実家からは距離がそんなに離れていなかったのですがアクセスは非常に悪かったです。

近郊電車を乗り継ぎ、乗換駅で花を買い、花屋の主人にいくつかの話を伺い、電車を乗り換え相模湖駅で降りました。そこからバスに乗っておおよそ30分ほど。しかしそのバスも1時間に1本で1度降りると折返しのバスとして戻ってくるまで待たなければならない。車で行くにしても中央道の相模湖インターあるいは相模湖東出口からのアクセスになります。

事件前より、論考や論文を見たとき、障害者施設が非常に山奥に作られていたなどという話を見ましたが、ああこういうことかというのを実感しました。

  • 個人的に納得があった論
事件当時、専門家だったりとかパラリンピアンなど様々な人がこの事件に対して論を展開していましたが、このあたりであんまりピントが完全にあったものがないなぁと思っていたのですが、国立精神・神経医療研究センター病院の松本俊彦さんが当時、ヨミドクターの連載で掲載した記事の末尾は個人的な経験から納得がありました。


すべては「タラ・レバ」の話です。しかし最近私は、もしかすると今回の事件は、「障害者が障害者を殺傷した」という悲劇的な構図であったのではないかという考えに傾いています。

要するにある種の人間の闇なのですが、その人間の闇を形作るのはなにかということを考えると、様々な要因が絡んでくるというのはあるんだろうなぁとはこの頃から思うことです。

  • 最大の変化
この上で、この事件以降の自分の考え方の変化といいましょうか、自分が持つニヒリズム・シニシズム に対する感覚が変化したというのが一番大きいです。結局、事件の背景にある全体主義的思想などを見るとこのようなものが台頭するところには、どうしてもニヒリズムやシニシズムだったりはあるわけでつまるところこの事件の死刑囚はこういう考えがかなり強い人間だったというところだと思います。だからこそ、こういう考えと正面から向き合って、ある種のニヒリズム・シニシズムの克服・コントロールをしていかなければならないのだという思いが強くなったものです。その上で、障害当事者を見るとそういったところを克服できていない人も結構いるんかなぁと思うところはあります。


終わり

2021年7月20日火曜日

開会式不参加といじめの話について


このニュースだけでなく五輪スポンサーの経営者が続々開会式不参加を発表しています。
トヨタ自動車の豊田章男会長の発表に端を発する形のようにも見えますが時系列で振り返ると、小山田圭吾さんの学生時代における障害者へのいじめ問題が関わっているのが否定できないように見えます。これはあくまで推測ですが、時系列で見てみましょう。

ここからは個人的に見聞きした上での見解です。
障害者というのは、一部の方にとっては見えない話なのかもしれませんが、経営層の子息にも普通にいます。私が少ない交友関係(であったものも含む)、生活の中で把握しているだけでも何人かはいます。ですから、自分の考えとしては何らかの拒否反応が経営層から出たのは単純な時系列で見る限り否定はできないと考えます。

ことの性質としてはかつてあった透析患者差別発言のそれに近いものがあると思います。

正直なところ言いたいことは沢山ありますがとりあえず一旦、ここまで。

終わり

2021年7月14日水曜日

雑記:特性を活かすには…

 こういう記事がありました。


今日の毎日新聞夕刊(社会面)ですが、ざっくりとした内容はこんな感じです。
  • 生まれつき高い知能・優れた能力をもつ「ギフテッド」という子どもたちがいるが学校で孤立するケースが少なくない
  • ギフテッドを持つ親のルポ。取材を受けた親は応援隊を設立
私の身近に聞いた話でも似たようなケースというのがあって、やっぱりプログラミングや哲学的なことに対する造詣がすごく深くて、大したものだというところなのですが記事のケースと同じように周りで孤立してしいると聞きました。

さて、ネットの当事者を見ていると、特性を活かすという議論をしばしば見かけます。
特性というのは、偏りだったりこだわりだったりするかと思うところはあるのですが、結局の所どれだけ小さな頃に家族でそのこだわりに対して伴走できたかがものを言うのかなと考えます。

経験で言えば、自分は結構親がこだわりに対して寛大に対応してくれたところがあります。そのこだわりは、歴史だったり政治学、鉄道趣味だったりするのですが、これらは巡り巡って今の仕事に活きているところがあります。

もし、そのこだわりが抑圧されていたとするならば、どこかに鬱屈した物となって残っていたことでしょう。そうではなくちゃんと昇華できたことは折り合うことができたということになるんだと感じています。

ギフテッドの才能を巡る話も、それがこだわりであったとして法秩序に反しない限りはできるだけ伸ばしていくことが成長期にかけては求められるのだと思いました。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...