やまゆり園事件から5年が経ちました。
この事件は障害当事者として非常に衝撃が大きく、生きることに対する考え方も大きく変化したという点で影響の大きい事件でした。
- 事件当時の感想
朝のニュースの中継映像を見て唖然としたのはよく覚えています。
そして、数日後に教育テレビで放送された「ハートネットTV」の緊急特番で身を裂かれるような当事者の声を見て号泣したこと。さらには、この事件の犯人がなんと同じ大学の出身であったことを週刊誌で知り更にショックを受けたこと。事件を巡って差別的な発言・見解をする友人の反応を見て愕然としたこと。
色々思うところが当時ありました。
こういったことからちょっと感傷的ではあるのかもしれませんが贖罪という意味を込めて献花に行くということも行いました。写真は撮りませんでした。こういうのはある種の信念で行くもので写真は撮らないに限るものだからと考えていたからです。
- 献花に行ったこと
献花に行ったのは事件から1ヶ月ほどたったころでした。実家からは距離がそんなに離れていなかったのですがアクセスは非常に悪かったです。
近郊電車を乗り継ぎ、乗換駅で花を買い、花屋の主人にいくつかの話を伺い、電車を乗り換え相模湖駅で降りました。そこからバスに乗っておおよそ30分ほど。しかしそのバスも1時間に1本で1度降りると折返しのバスとして戻ってくるまで待たなければならない。車で行くにしても中央道の相模湖インターあるいは相模湖東出口からのアクセスになります。
事件前より、論考や論文を見たとき、障害者施設が非常に山奥に作られていたなどという話を見ましたが、ああこういうことかというのを実感しました。
- 個人的に納得があった論
事件当時、専門家だったりとかパラリンピアンなど様々な人がこの事件に対して論を展開していましたが、このあたりであんまりピントが完全にあったものがないなぁと思っていたのですが、国立精神・神経医療研究センター病院の松本俊彦さんが当時、ヨミドクターの連載で掲載した記事の末尾は個人的な経験から納得がありました。
すべては「タラ・レバ」の話です。しかし最近私は、もしかすると今回の事件は、「障害者が障害者を殺傷した」という悲劇的な構図であったのではないかという考えに傾いています。
要するにある種の人間の闇なのですが、その人間の闇を形作るのはなにかということを考えると、様々な要因が絡んでくるというのはあるんだろうなぁとはこの頃から思うことです。
- 最大の変化
終わり
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