2022年3月21日月曜日

雑記:個人的考えとしての資料の読み方の問題

こういうことを書くと元も子もないのですが
当事者サイドで専門的な資料をちゃんと読めている方がほとんどいません。

なんだかんだ修士までいった身からすると、こういう現状は見てて辛いものがあります。
どういう事例があったかといえば観察している限りでは次の通り。
  • 資料に書いていないことをさもあるかのように主張していた
  • 書かれていることから飛躍した話をしてしまう
大別するとこの2つです。
こういう話は、ゼミの教授は「渋谷駅のハチ公前広場で演説することと同じだ」と言っていたのを思い出します。
いずれも、読み方さえわかっていれば防げる話です。

読み方というのは、個人の考えではありますが、論文や資料に書いていることに言及することであってそこにはどういう内容だったりをざっくり記載することだったりするわけですが、ここの読み方が壊滅的に話にならないケースが当事者サイドには多い。

その上で各個のケースを見て見るならば、1項目については、批判や批評というところの観点かなと考えます。

ただし、それはあくまで論文・資料を見る中で考えていくものであって、一要素を導き出してこれだというのは危険な議論でしかないし、また書いていないことや飛躍した話をしてしまうというのは訓練を受けていないというところになります。
特に、当事者サイドが当事者サイドを批判的に言及するのはかなり難しいところで、とりわけ慎重にロジックで詰めていかなければならないところがあります。

ある種の特性の問題というのはあるのかもしれないけど、そこは抑制した上で見ていかないと適切な資料の検討は難しいように自分は思います。2項目についてになりますが、まぁ1項目と一致するところがあって、例えばある当事者の情報の紹介の仕方が滅茶苦茶であってもそのアンチテーゼ、批判として検討する側も同じくらい滅茶苦茶みたいな状態であります。それを観察している限りでは当事者サイドの語りの限界というものを痛感する次第です。

さすれば専門家の研究を用いながら、慎重に検討し続けるしかないんだろうなぁと自分は今の段階では考えています。そうしますとそれについての語りはどうしても少なくなります。トリガーを外せば、好き勝手に言えるのでしょう。まぁ私はそういうのはやらないですね。

終わり


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