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2022年7月24日日曜日

メモ:実現可能性を考慮するということ

たまに修士課程の際にお世話になった大学院へ行くことがあります。

目的としては基本的には暇つぶしや交流なのではありますが、この歳になってゼミを聞いていると発見があり刺激になっています。その内容を紹介したいと思います。項目は3つです。
  1. 基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
  2. 研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
  3. 教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
それぞれ解説します。

1.基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
ゼミで書く論文というものは教育的な側面があり、色々見てざっくりといえば、起承転結を論文という形で整える時間です。

例えば、論文の計画があり、計画をどのような方法で展開し、そこから得られたもので見える解はなにか、主張はなにかというのをやります。

ただし、これには根拠が必要でそれは本や論文などの先行研究(これまでのあらすじとも言える)や、各種データ、事例などがそれに当たります。先行研究はレビューなどを通して検討を行います。

データは色々ありますがそこには若干の気づきがあったので次の項目で記載します。

2.研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
ある決まった年限の中で(通常学部は1年、修士は2年です)、風呂敷を広げてたたむということも求められます。風呂敷は広げっぱなしではいけない。

データの収拾方、取り扱い方がそうで、これは仕事でも同様なのですがある課題や課業があるとして、それは決まった時間、あるいは確保できた時間の中で処理しなければなりません。

学部や研究科でも同様であり、それはむしろ社会で勤労者として働く前に身につけるものであります。これは私は残念ながら現役の学生であるときは気が付きませんでした。

処理といいますと、これは本人の力量によるところは大きいところがあると思います。例えば、あるデータ(仮に人口統計とします)があって、これを図表として任意の形で処理するには、表計算ソフトに起こし加工をするわけですが、これができるスキルがあるか。あるいはいろんなツールの発生や利活用を見聞きすると、この頃では情報処理に関するスキルの有無が論文を作成する上で、重要になっていると思います。言い換えれば文系でも理系の知識が必要といったところです。それだけ情報が高度化してきていると思います。

加えて言えば、就職したあとも、情報処理を求められることが増えているような気はします。情報処理に関する基本的なスキルを早い段階から身に着けていれば文系でも何かに取り組むとき助けになるかもしれません。

3.教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
観察しているとそれはすごく感じるところがあって、教育機関だからこそすり合わせをしながら作っていくというのは大きいです。言い換えれば、アウトプットだけを求めるのではなく、教育課程ではインプット方とアウトプット方を育成するところに焦点をあてるのはおそらく本人も成長できるというところでしょう。

今はどうか知りませんが、大学院は悪い意味でガチャみたいなところがあります。いい先生に当たれば、面倒よく色々見ていただけるのですが、悪い先生に当たると、適当にあしらわれて個人戦になって潰れるなんていうケースもよくあります。私もかつて見聞きしただけでもいくつか潰れた話を聞きました。

その上で、警句めいた感じになってしまい、誠に申し訳ないのですが最近一部の働く発達の当事者の中には大学院に行って研究を書きたいという方もたまに見かけます。本当に気をつけてください。社会人の大学院というのは色々ありますが、基本的には教授の相性だけでなく、仕事しながら通う形になりますので非常に時間がとられます。夜間を中心に通う形になりますが、平社員だとかなり厳しいです。ゆえに企業のお金と勤務の枠で行くのがある種の常道であるし、そういうルートではなく通常ルートでしかし当事者だから行きたいという情熱と夢だけで達成できるほど、生易しいものではないとだけは言っておきます

終わり

2022年6月27日月曜日

メモ:判断基準のものさし

この頃、Kindle Unlimitedの購読を再開しました。
再開の理由は3ヶ月99円セールのお知らせがあったからなのですが、これは色々あって1ヶ月無料のみしか適用できませんでした。私の徳がなかっただけですので忘れます。

さて、Kindle Unlimitedでこんな本を見つけ読みました

この本は90年代後半に朝日新聞で連載されたコラムをもとに書かれたもので、インプレス社より復刊したものになります。

青木雄二さんという漫画家がいたという話は知っていて、何気なく読んでみたのですが面白かったです。

どう面白いかというと、マルクス主義というフレームワーク、考え方を自分の中に落とし込んでそれを分析のツール(ものさし)として用いているということです。ネットの評判を見ると、マルクス主義が好きな漫画家といった評が載っているものでしたが、そういう次元ではないように見えました。

先人の考え方を分析のツールとして利用するのは結構難しいものがあって、知識の蓄積が必要です。自分も歴史の中で考えたときにとか言ったりすることがあるんですが、それはせいぜい山川の詳説世界史レベルの話であってそんなに複雑なものは基本使いません。というか自分はまだ確固たる分析のツールが確立していないきらいすらあります。


分析のツールとして使うのはぶっちゃけ、割合普遍的なのであればどんなのでもいいです。それが、青木雄二さんの場合はマルクス主義だったわけです。
ハイエクでもフリードマンでも全く構わないと思います。

ネットの悪いところだなと思うのは分析のツールとして哲学を使って、世の中(世間ともいう)をどう見るかではなく、木を見て森を見ない揚げ足とりが支配的であるということのようにあります。例えば、ある事柄について問題提起をしたとしてそれを行った人の髪の毛が薄いとかいうところにばかりに注目をする話です。
結局の所、お金を稼ぐにしろ何をするにしろ生活をどう行うか、その生活を豊かにする一つの尺度は分析のツールをどう使うかによるので、それを放棄して揚げ足とりをしながら生きるのは生活の手段を放棄しているのと同じです。

終わり

2022年5月27日金曜日

雑記:国立国会図書館デジタルコレクションを見て再度利用者証を登録

 5月18日に国立国会図書館デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス」の提供が始まりました。

これは要するに、自宅のパソコンやスマホからデジタル化された資料や絶版本が見られるサービスになります。平たく言えば電子書籍閲覧サービスであります。これが国会図書館の登録者証があれば誰でも見られるということになります。


このサービスが始まると聞いて、以前登録していた国会図書館の登録者証を探しました。そうしましたら登録者証はありましたが有効期限がとうの昔に切れておりまして改めて登録し直したものでありました。

さて、登録方法についてですがこれまでは国立国会図書館で直接登録と郵送でやり取りする2種類がありました。今回のサービス開始と同時にインターネット上での登録も可能になりました。このネット登録は仮登録と本登録の2種類があり、前者はメールアドレスで行うことができ、本登録は身分証明を添付したファイルを登録時に送信します。確認には5営業日かかるようでした。


私は5営業日も待っていられなかったので、先週の土曜日に登録へ行ってまいりました。

出発前に下調べを行いましたが、現在国立国会図書館は一部の時間帯で予約制を実施しているようです。


朝早くなら登録利用者は入れるということです。私はGWの自転車レンタルの際に痛い目を見たので仮登録をしてそれを本登録にするという体で登録に行きました。

土曜の朝はやく、当日は大雨でしたが奥の新館入り口入ってすぐに登録カウンターで登録作業を行いました。現地まで行けばスムーズに登録が可能で、必要書類も保険証でOKでした。

実際にサービスを使う場合にはNDLオンラインからログインし、「個人向けデジタル化資料送信サービス」の規約に同意する必要があります。その後で、「国会図書館デジタルコレクション」にログインすると利用ができるという流れです。

国会図書館デジタルコレクションのトップページには検索窓がありますが、「図書館・個人送信資料」の項目にチェックを入れて検索すると、このサービスによる資料へアクセスすることができます。

資料の閲覧は、スマホとタブレットとPCで確認してみましたが現状、PCのモニター(20インチくらい)でみるとよく資料を閲覧できるというところです。今回の開放では硬い資料が多いですが、在野の研究者だったりあるいは物好きにしてみると福音なのかなというのが個人的に感じたところです。

それはなぜかということなのですが、国立国会図書館の電子化された書籍の閲覧サービスというは、自由に閲覧できるようにみえますが実は制約が大きいもので、国立国会図書館、公立の図書館双方で時間制限があって、その時間でなにかを見るとなりますと基本的に事前に閲覧予定資料をリストアップしないといけませんでした。自宅からですと時間制限がなくなる、即ち自由に見ることができるので、在野での研究のしやすさは格段に改善されたと思われます。

個人的には、かつて研究していた分野の資料だったり地理関係の資料が結構開放されたので、例えば街の施設の由来だったり、あのとき政治がどう動いていたか、何考えていたのかみたいなのがより明瞭に調べることができるようになったというのが一番うれしいところです。

そこと既存の図書館でもあるような資料と突き合わせていくと色々わかるところがあるのかなというところです。

終わり

2022年3月21日月曜日

雑記:個人的考えとしての資料の読み方の問題

こういうことを書くと元も子もないのですが
当事者サイドで専門的な資料をちゃんと読めている方がほとんどいません。

なんだかんだ修士までいった身からすると、こういう現状は見てて辛いものがあります。
どういう事例があったかといえば観察している限りでは次の通り。
  • 資料に書いていないことをさもあるかのように主張していた
  • 書かれていることから飛躍した話をしてしまう
大別するとこの2つです。
こういう話は、ゼミの教授は「渋谷駅のハチ公前広場で演説することと同じだ」と言っていたのを思い出します。
いずれも、読み方さえわかっていれば防げる話です。

読み方というのは、個人の考えではありますが、論文や資料に書いていることに言及することであってそこにはどういう内容だったりをざっくり記載することだったりするわけですが、ここの読み方が壊滅的に話にならないケースが当事者サイドには多い。

その上で各個のケースを見て見るならば、1項目については、批判や批評というところの観点かなと考えます。

ただし、それはあくまで論文・資料を見る中で考えていくものであって、一要素を導き出してこれだというのは危険な議論でしかないし、また書いていないことや飛躍した話をしてしまうというのは訓練を受けていないというところになります。
特に、当事者サイドが当事者サイドを批判的に言及するのはかなり難しいところで、とりわけ慎重にロジックで詰めていかなければならないところがあります。

ある種の特性の問題というのはあるのかもしれないけど、そこは抑制した上で見ていかないと適切な資料の検討は難しいように自分は思います。2項目についてになりますが、まぁ1項目と一致するところがあって、例えばある当事者の情報の紹介の仕方が滅茶苦茶であってもそのアンチテーゼ、批判として検討する側も同じくらい滅茶苦茶みたいな状態であります。それを観察している限りでは当事者サイドの語りの限界というものを痛感する次第です。

さすれば専門家の研究を用いながら、慎重に検討し続けるしかないんだろうなぁと自分は今の段階では考えています。そうしますとそれについての語りはどうしても少なくなります。トリガーを外せば、好き勝手に言えるのでしょう。まぁ私はそういうのはやらないですね。

終わり


2021年8月19日木曜日

論文の読み方などについて

就労の話ではないのですが、最近新聞を賑わせた差別発言に関係して、色々見ていたら興味深い書き込みがSNS上にあったので紹介します。

なぜ、科学的であることをウリにするYouTuberの論文紹介の方が、専門家のそれよりも多くの人に信用されるのかというと
「いくつもの実験条件を満たした場合にだけその実験結果になる」と専門家は言うのに対し、YouTuberは実験条件の細部に言及せず、いつでも成立する法則であるかのように断定するから
これは興味深いなと思いました。
と、同時に論文の読み方を巡る話だと感じました。

なぜそう思ったかについてですが論文の読み方一つをとっても大学などの高等教育における教え方には違いがあるからです。私の個人的な経験からその話をします。論拠などはなく学生時代に受けたカリキュラムに基づいた経験的な話であることを予め明記しておきます。その上ではじめにまとめを記載し個別に詳細を書いていきます。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
各項目の話をします。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
学部時代卒業論文というものを執筆しました。もちろんそこに至るまでには概論、専門教科、ゼミなどがあるわけですが卒業論文の前段階のゼミで、なにか主張することとその論拠の正しい示し方について教育されます。その教育に基づいて、卒業論文を執筆するのですが、基本的には1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれています。作法も大まかなところは担当教授の指導が入るのですが、この段階では「書く」ことのほうが重要視されていました。作法云々というよりは書くという経験を通して長文を書くということはどういうことかを身に着けるということであって、このスキル自体は社会人あるいは労働者として働くに際して重要な経験になるわけです。
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
修士課程になると論文に対する考え方が変わります。学部時代では「書く」ことに重点が置かれていた論文の執筆が修士になると論文の作法を緻密にレクチャーされることになります。例えば、脚注や引用の仕方であったり、「先行研究」のレビューを行いそこから判明していないことを見つけ、調査を行いその結果新たに何がわかったかわからないかを書くといったところになります。

修士を修了して○年たちますが未だにこれは苦労するところがあります。
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
冒頭、紹介したツイートに話を戻します。
このツイートはおそらく論文の読み方に関する話だと思います。読んでみて、前者については修士以上の人であれば納得があると思います。論文を書く際に必要な研究のレビュー・調査・考察に基づいた話し方でわかりにくさもあるが学術的です。一方で後者についてはわかりやすいですが、論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえます。

動画などのリッチコンテンツはどうしてもわかりやすさが求められるので、いろいろなところをはしょったり、竹を割ったような物の言い方をしがちではありますがそれゆえ危うさもあります。「地球は丸い」といった普遍的な事実であれば竹を割ったような言い方でも問題はないかと思いますが、最新の研究や海外の研究を参照するときは、断言をするのはよくないと個人的には思います。知識を適切に紹介するというのはかなり高度なスキルが求められるのではないかと感じました。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...