2022年8月10日水曜日

メモ:ともに暮らすということ

お盆休みなので発達障害と結婚に関して以前ツイッターに書いた話をまとめます。

1.ともに暮らすということの効用と発達障害

発達障害当事者の議論を見ていると、ともに暮らすことを諦めている人がいるようです。

これはとてももったいない話です。

ともに暮らすということは結婚だけでなくパートナーシップや事実婚も入ります。

さて、配偶者やパートナーとともに暮らすと何が変わるかというところですが、いちばんわかりやすいところで言えば、馬力が1から2になることです。馬力という概念は人だけでなく金なども入ります。
この変化はびっくりするほどローリスクです。これは株式投資をするよりリスクが低いです。

自分も一応発達障害と向き合っている身なのですが、自分の考えとしては発達障害者の結婚・事実婚などに関しては無条件で肯定します。おそらく、否定する側は引け目を感じているのかもしれませんがはっきりこの考えは無意味です。ともに暮らす機会があればぜひ暮らしたほうがいいです。

「私なんて人様の迷惑になるかも・・・」
とか思う人も中にはいるかもしれませんが、人間社会は迷惑をかけてかかされる螺旋のようなものであるのでそこは堂々としたほうがいいです。

その上で、結婚や事実婚のあとのことについてですが、結婚をしたということがゴールではないことを認識する必要があります。

結婚やともに生活をはじめることは通過点でしかないです。言い方を変えればその通過点をすぎても学ぶ事がたくさんあります。むしろパートナーや婚約者とともに歩むことでいろんな意味で脳が刺激されます。この刺激を通してまた学びが深まっていくのは実感としてあります。お互いに分かち合い、話し合い、折り合っていくという課程の繰り返しなのですが、これがお互いの感性を豊かにしていきます。そのためにはお互いにリスペクトが求められます。

2.色々見ていくと・・・

そして、どんなに非モテであろうとなかろうと結婚とか出会いとかそういうのは直感みたいなのがあります。古い言い方かもしれないけど直感は大事にしたほうがいいです。必ずターニングポイントっぽいものがあります。私は恋愛に関しては、直感を重視し今結婚しています。

直感というのは、第六感だったりはじめて異性を見たときにビビっと頭の先から足の先まで貫くような感覚だったり、あるいは「この人と私であればそのうち○○な状況になるだろう」みたいな感覚です。結婚したあとに、いろいろあちこち聞いていると意外とこの感覚を受けた人というのはいないもので、私と同じような経験をした人は数人しかいませんでした。かなしぃなぁと思ったものです。

終わり

2022年7月24日日曜日

メモ:実現可能性を考慮するということ

たまに修士課程の際にお世話になった大学院へ行くことがあります。

目的としては基本的には暇つぶしや交流なのではありますが、この歳になってゼミを聞いていると発見があり刺激になっています。その内容を紹介したいと思います。項目は3つです。
  1. 基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
  2. 研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
  3. 教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
それぞれ解説します。

1.基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
ゼミで書く論文というものは教育的な側面があり、色々見てざっくりといえば、起承転結を論文という形で整える時間です。

例えば、論文の計画があり、計画をどのような方法で展開し、そこから得られたもので見える解はなにか、主張はなにかというのをやります。

ただし、これには根拠が必要でそれは本や論文などの先行研究(これまでのあらすじとも言える)や、各種データ、事例などがそれに当たります。先行研究はレビューなどを通して検討を行います。

データは色々ありますがそこには若干の気づきがあったので次の項目で記載します。

2.研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
ある決まった年限の中で(通常学部は1年、修士は2年です)、風呂敷を広げてたたむということも求められます。風呂敷は広げっぱなしではいけない。

データの収拾方、取り扱い方がそうで、これは仕事でも同様なのですがある課題や課業があるとして、それは決まった時間、あるいは確保できた時間の中で処理しなければなりません。

学部や研究科でも同様であり、それはむしろ社会で勤労者として働く前に身につけるものであります。これは私は残念ながら現役の学生であるときは気が付きませんでした。

処理といいますと、これは本人の力量によるところは大きいところがあると思います。例えば、あるデータ(仮に人口統計とします)があって、これを図表として任意の形で処理するには、表計算ソフトに起こし加工をするわけですが、これができるスキルがあるか。あるいはいろんなツールの発生や利活用を見聞きすると、この頃では情報処理に関するスキルの有無が論文を作成する上で、重要になっていると思います。言い換えれば文系でも理系の知識が必要といったところです。それだけ情報が高度化してきていると思います。

加えて言えば、就職したあとも、情報処理を求められることが増えているような気はします。情報処理に関する基本的なスキルを早い段階から身に着けていれば文系でも何かに取り組むとき助けになるかもしれません。

3.教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
観察しているとそれはすごく感じるところがあって、教育機関だからこそすり合わせをしながら作っていくというのは大きいです。言い換えれば、アウトプットだけを求めるのではなく、教育課程ではインプット方とアウトプット方を育成するところに焦点をあてるのはおそらく本人も成長できるというところでしょう。

今はどうか知りませんが、大学院は悪い意味でガチャみたいなところがあります。いい先生に当たれば、面倒よく色々見ていただけるのですが、悪い先生に当たると、適当にあしらわれて個人戦になって潰れるなんていうケースもよくあります。私もかつて見聞きしただけでもいくつか潰れた話を聞きました。

その上で、警句めいた感じになってしまい、誠に申し訳ないのですが最近一部の働く発達の当事者の中には大学院に行って研究を書きたいという方もたまに見かけます。本当に気をつけてください。社会人の大学院というのは色々ありますが、基本的には教授の相性だけでなく、仕事しながら通う形になりますので非常に時間がとられます。夜間を中心に通う形になりますが、平社員だとかなり厳しいです。ゆえに企業のお金と勤務の枠で行くのがある種の常道であるし、そういうルートではなく通常ルートでしかし当事者だから行きたいという情熱と夢だけで達成できるほど、生易しいものではないとだけは言っておきます

終わり

2022年6月27日月曜日

メモ:判断基準のものさし

この頃、Kindle Unlimitedの購読を再開しました。
再開の理由は3ヶ月99円セールのお知らせがあったからなのですが、これは色々あって1ヶ月無料のみしか適用できませんでした。私の徳がなかっただけですので忘れます。

さて、Kindle Unlimitedでこんな本を見つけ読みました

この本は90年代後半に朝日新聞で連載されたコラムをもとに書かれたもので、インプレス社より復刊したものになります。

青木雄二さんという漫画家がいたという話は知っていて、何気なく読んでみたのですが面白かったです。

どう面白いかというと、マルクス主義というフレームワーク、考え方を自分の中に落とし込んでそれを分析のツール(ものさし)として用いているということです。ネットの評判を見ると、マルクス主義が好きな漫画家といった評が載っているものでしたが、そういう次元ではないように見えました。

先人の考え方を分析のツールとして利用するのは結構難しいものがあって、知識の蓄積が必要です。自分も歴史の中で考えたときにとか言ったりすることがあるんですが、それはせいぜい山川の詳説世界史レベルの話であってそんなに複雑なものは基本使いません。というか自分はまだ確固たる分析のツールが確立していないきらいすらあります。


分析のツールとして使うのはぶっちゃけ、割合普遍的なのであればどんなのでもいいです。それが、青木雄二さんの場合はマルクス主義だったわけです。
ハイエクでもフリードマンでも全く構わないと思います。

ネットの悪いところだなと思うのは分析のツールとして哲学を使って、世の中(世間ともいう)をどう見るかではなく、木を見て森を見ない揚げ足とりが支配的であるということのようにあります。例えば、ある事柄について問題提起をしたとしてそれを行った人の髪の毛が薄いとかいうところにばかりに注目をする話です。
結局の所、お金を稼ぐにしろ何をするにしろ生活をどう行うか、その生活を豊かにする一つの尺度は分析のツールをどう使うかによるので、それを放棄して揚げ足とりをしながら生きるのは生活の手段を放棄しているのと同じです。

終わり

2022年6月19日日曜日

雑記:新聞をくまなく継続的に読んでいるという話

私は毎朝新聞を読んでいます。ただし紙では読まず電子版や紙面ビューアーアプリで読んでいます。かれこれ3年位続けております。

最近はどうか、知りませんが社会人あるいは大学生になると新聞を読めと言われていたものです。新聞を読むということですが私の経験から言うと発達当事者ほど新聞を毎朝見てほしいと思っています。何故か。結論を先に言えば、世の中への視野を一定程度広げるという点で未だに新聞は有効であるからです。新聞には分野ごとに話題を取うページがあります。わかりやすい所で言えばテレビ・ラジオ欄、一面、社会面、経済面などです。深いところを行くと生活面や社会保障に関する話題など多岐にわたります。

新聞の最初のページである一面から最後のページであるテレビ欄(※:新聞によってはテレビ欄がが最後のページでないこともあります)をくまなくざっと確認してほしいです。

新聞を幅広く閲覧することで、物事の視野を広げることができます。
自分の例で言えば、新聞をちゃんと読む前は社会保障や老後資金に関しては興味がありませんでしたが、新聞を読むことで関心を向けることができるようになりました。また、生活や文化・科学・地域にも関心を向けるようになりました。

このように新聞には関心を広げるという点で効果があります。これは実感としてありましたので当事者の方には是非推奨していきたいです。

とはいいつつも、よく「今はネットがある!」という意見を見かけることもあります。確かにネットニュースは新聞では取り上げない専門的な情報もあるので使い方次第では知識を深めることができます。だが、これは基本的な知識があればの話です。よく発達当事者で、情報共有として無料のネットニュースを大量に紹介し意見を記載しているアカウントがありますが、あれは情報の紹介としては本来正しいあり方ではないと思います。

終わり

2022年6月10日金曜日

雑記:佐々木投手と人材育成を読んで

こういう記事がありました。


2022年、完全試合を成し遂げたロッテの佐々木投手に関する論にまつわる話でして、この投手の人材育成がにわかに注目を浴びたものでした。この記事では吉井さん、山口さん、常見さんの3人が人材育成を語っております。

吉井さんは、佐々木投手を始めてみたときに体つきに注目し、佐々木投手がまだ体ができていない成長過程にあったと指摘しています。それを受けて練習を組み立てていったことなども語った上で、若い選手は体ができあがっていない傾向にあることをもとに、一人ひとりに対してオーダーメイドに合わせていくことを提言しています。

山口さんは、自らが取り組んできた柔道でこれまでの競争重視だった潮流が変わりつつあることを実例を交えて紹介し、まずスポーツを楽しいものであることを感じさせて、長い活躍を見据えた動きをするべきと主張している。

常見さんは佐々木投手の完全試合を巡って「成果主義は成長の妨げ」であることを主張した内容の新聞記事があったことに驚きを感じたことを記し、少子化社会においては成果から育成へシフトチェンジを自覚する必要があると提言する。

  • 記事を読んで
佐々木投手の件が論の題材としては提示されておりますが、ここ数年の大学スポーツに目を向けるとかつてのような競争で結果を出す形から活躍をする環境を緻密に整え、卒業後も見据えた育成が増えてきていて、それが結果を出している話の延長のようにも見えます。大きな潮流かはわかりませんが、一つの動きとして理論のない状態での競争の中から勝者を決めるという今までの流れが少子化社会の中で人材の浪費につながるとしてナンセンスであるという流れが出てきているように見えます。

自分は、育成を重視する考え方に賛成です。それはスポーツだけでなく自らの身体的なロジックを理解しないまま成果による活躍だけで先頭にたってもいいことにはならないからです。例えば、活躍しているうちはいいですが、ロジックを理解しないことで自身が凋落していったとき再考することが難しくなります。

芽が出るか出ないかというのは、スポーツをやるとどうしても出てきますが、スポーツを通した自他含めたロジックをしっかり把握できていれば芽が出なくても人格的に陶冶され社会に還元されると思います。

少子高齢化の中で人材を浪費することが許されざる状況になってきたということなんだと思います。

終わり

2022年6月8日水曜日

メモ:成功ではなく改良のほうが有意義

 日々、SNSで当事者の話を見ていると、成功を強調するケースを見かけます。

「成功」をするという意味を見ると次のようにあります。

その中のデジタル大辞泉「成功」の解説には次のようにあります。
2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。「写真家として成功する」
つまり「成功」の意味の中には名声や社会的地位の確保があるようです。 
さて自分が、当事者自身が成功を強調していることを見るとどうも違和感を感じます。

その「成功」が物事を成し遂げ、地位や名声を得ることにあるとするならば、試験の合格や仕事の業績、社会的地位の確保が果たして成果なのでしょうか。私は正直モヤッとするところがあります。なぜならば、本質的には試験それ自体は通過点にすぎないからです。試験に合格したことはすごいでしょう。そこまでの過程はそれなりに勉強をしないと達成できないものであることが多いからです。しかし、試験に合格した=私はすごいというのは短絡です。試験はそれ自体がある一定の質を担保するための仕掛けではありますが、同時に得られたその質をもって長期的に何を成すかに焦点を置いておいてほしいと自分は思います。仮に合格したのみを持ってそれを承認欲求を満たすだけに用いたとするならば、これほど無意味な営みはないでしょう。

ついでに書くと、自分は到達点を持って「成功」とする考え方はあまり好きではありません。政治思想の用語で社会主義という言葉がありますが、これにも大変大雑把にくくって潮流があり「革命」と「改良」があります。「革命」はゴールがあるが「改良」はゴールがない。細かく言えばいくらでもかけますが際限がないのでこれでご容赦ください。その思想の歴史をみれば、「革命」は大変な犠牲を出し、「改良」は現実的な成果をあげました。

では、「成功」にくくる当事者の考え方を鑑みてみるとゴールを求めすぎているような気がします。「成功」はある意味ではユートピア(理想郷)であって、それ自体は意義がありますが、あまりそれに引きずられるのはよくないです。歴史を見れば、そういうケースでは、それを維持するためにPowerを広範に用いるようになったものです。

改良し続けて、生きやすくしていくほうが長期的には有意義でしょう。

終わり

2022年5月27日金曜日

雑記:国立国会図書館デジタルコレクションを見て再度利用者証を登録

 5月18日に国立国会図書館デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス」の提供が始まりました。

これは要するに、自宅のパソコンやスマホからデジタル化された資料や絶版本が見られるサービスになります。平たく言えば電子書籍閲覧サービスであります。これが国会図書館の登録者証があれば誰でも見られるということになります。


このサービスが始まると聞いて、以前登録していた国会図書館の登録者証を探しました。そうしましたら登録者証はありましたが有効期限がとうの昔に切れておりまして改めて登録し直したものでありました。

さて、登録方法についてですがこれまでは国立国会図書館で直接登録と郵送でやり取りする2種類がありました。今回のサービス開始と同時にインターネット上での登録も可能になりました。このネット登録は仮登録と本登録の2種類があり、前者はメールアドレスで行うことができ、本登録は身分証明を添付したファイルを登録時に送信します。確認には5営業日かかるようでした。


私は5営業日も待っていられなかったので、先週の土曜日に登録へ行ってまいりました。

出発前に下調べを行いましたが、現在国立国会図書館は一部の時間帯で予約制を実施しているようです。


朝早くなら登録利用者は入れるということです。私はGWの自転車レンタルの際に痛い目を見たので仮登録をしてそれを本登録にするという体で登録に行きました。

土曜の朝はやく、当日は大雨でしたが奥の新館入り口入ってすぐに登録カウンターで登録作業を行いました。現地まで行けばスムーズに登録が可能で、必要書類も保険証でOKでした。

実際にサービスを使う場合にはNDLオンラインからログインし、「個人向けデジタル化資料送信サービス」の規約に同意する必要があります。その後で、「国会図書館デジタルコレクション」にログインすると利用ができるという流れです。

国会図書館デジタルコレクションのトップページには検索窓がありますが、「図書館・個人送信資料」の項目にチェックを入れて検索すると、このサービスによる資料へアクセスすることができます。

資料の閲覧は、スマホとタブレットとPCで確認してみましたが現状、PCのモニター(20インチくらい)でみるとよく資料を閲覧できるというところです。今回の開放では硬い資料が多いですが、在野の研究者だったりあるいは物好きにしてみると福音なのかなというのが個人的に感じたところです。

それはなぜかということなのですが、国立国会図書館の電子化された書籍の閲覧サービスというは、自由に閲覧できるようにみえますが実は制約が大きいもので、国立国会図書館、公立の図書館双方で時間制限があって、その時間でなにかを見るとなりますと基本的に事前に閲覧予定資料をリストアップしないといけませんでした。自宅からですと時間制限がなくなる、即ち自由に見ることができるので、在野での研究のしやすさは格段に改善されたと思われます。

個人的には、かつて研究していた分野の資料だったり地理関係の資料が結構開放されたので、例えば街の施設の由来だったり、あのとき政治がどう動いていたか、何考えていたのかみたいなのがより明瞭に調べることができるようになったというのが一番うれしいところです。

そこと既存の図書館でもあるような資料と突き合わせていくと色々わかるところがあるのかなというところです。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...