2022年6月19日日曜日

雑記:新聞をくまなく継続的に読んでいるという話

私は毎朝新聞を読んでいます。ただし紙では読まず電子版や紙面ビューアーアプリで読んでいます。かれこれ3年位続けております。

最近はどうか、知りませんが社会人あるいは大学生になると新聞を読めと言われていたものです。新聞を読むということですが私の経験から言うと発達当事者ほど新聞を毎朝見てほしいと思っています。何故か。結論を先に言えば、世の中への視野を一定程度広げるという点で未だに新聞は有効であるからです。新聞には分野ごとに話題を取うページがあります。わかりやすい所で言えばテレビ・ラジオ欄、一面、社会面、経済面などです。深いところを行くと生活面や社会保障に関する話題など多岐にわたります。

新聞の最初のページである一面から最後のページであるテレビ欄(※:新聞によってはテレビ欄がが最後のページでないこともあります)をくまなくざっと確認してほしいです。

新聞を幅広く閲覧することで、物事の視野を広げることができます。
自分の例で言えば、新聞をちゃんと読む前は社会保障や老後資金に関しては興味がありませんでしたが、新聞を読むことで関心を向けることができるようになりました。また、生活や文化・科学・地域にも関心を向けるようになりました。

このように新聞には関心を広げるという点で効果があります。これは実感としてありましたので当事者の方には是非推奨していきたいです。

とはいいつつも、よく「今はネットがある!」という意見を見かけることもあります。確かにネットニュースは新聞では取り上げない専門的な情報もあるので使い方次第では知識を深めることができます。だが、これは基本的な知識があればの話です。よく発達当事者で、情報共有として無料のネットニュースを大量に紹介し意見を記載しているアカウントがありますが、あれは情報の紹介としては本来正しいあり方ではないと思います。

終わり

2022年6月10日金曜日

雑記:佐々木投手と人材育成を読んで

こういう記事がありました。


2022年、完全試合を成し遂げたロッテの佐々木投手に関する論にまつわる話でして、この投手の人材育成がにわかに注目を浴びたものでした。この記事では吉井さん、山口さん、常見さんの3人が人材育成を語っております。

吉井さんは、佐々木投手を始めてみたときに体つきに注目し、佐々木投手がまだ体ができていない成長過程にあったと指摘しています。それを受けて練習を組み立てていったことなども語った上で、若い選手は体ができあがっていない傾向にあることをもとに、一人ひとりに対してオーダーメイドに合わせていくことを提言しています。

山口さんは、自らが取り組んできた柔道でこれまでの競争重視だった潮流が変わりつつあることを実例を交えて紹介し、まずスポーツを楽しいものであることを感じさせて、長い活躍を見据えた動きをするべきと主張している。

常見さんは佐々木投手の完全試合を巡って「成果主義は成長の妨げ」であることを主張した内容の新聞記事があったことに驚きを感じたことを記し、少子化社会においては成果から育成へシフトチェンジを自覚する必要があると提言する。

  • 記事を読んで
佐々木投手の件が論の題材としては提示されておりますが、ここ数年の大学スポーツに目を向けるとかつてのような競争で結果を出す形から活躍をする環境を緻密に整え、卒業後も見据えた育成が増えてきていて、それが結果を出している話の延長のようにも見えます。大きな潮流かはわかりませんが、一つの動きとして理論のない状態での競争の中から勝者を決めるという今までの流れが少子化社会の中で人材の浪費につながるとしてナンセンスであるという流れが出てきているように見えます。

自分は、育成を重視する考え方に賛成です。それはスポーツだけでなく自らの身体的なロジックを理解しないまま成果による活躍だけで先頭にたってもいいことにはならないからです。例えば、活躍しているうちはいいですが、ロジックを理解しないことで自身が凋落していったとき再考することが難しくなります。

芽が出るか出ないかというのは、スポーツをやるとどうしても出てきますが、スポーツを通した自他含めたロジックをしっかり把握できていれば芽が出なくても人格的に陶冶され社会に還元されると思います。

少子高齢化の中で人材を浪費することが許されざる状況になってきたということなんだと思います。

終わり

2022年6月8日水曜日

メモ:成功ではなく改良のほうが有意義

 日々、SNSで当事者の話を見ていると、成功を強調するケースを見かけます。

「成功」をするという意味を見ると次のようにあります。

その中のデジタル大辞泉「成功」の解説には次のようにあります。
2 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。「写真家として成功する」
つまり「成功」の意味の中には名声や社会的地位の確保があるようです。 
さて自分が、当事者自身が成功を強調していることを見るとどうも違和感を感じます。

その「成功」が物事を成し遂げ、地位や名声を得ることにあるとするならば、試験の合格や仕事の業績、社会的地位の確保が果たして成果なのでしょうか。私は正直モヤッとするところがあります。なぜならば、本質的には試験それ自体は通過点にすぎないからです。試験に合格したことはすごいでしょう。そこまでの過程はそれなりに勉強をしないと達成できないものであることが多いからです。しかし、試験に合格した=私はすごいというのは短絡です。試験はそれ自体がある一定の質を担保するための仕掛けではありますが、同時に得られたその質をもって長期的に何を成すかに焦点を置いておいてほしいと自分は思います。仮に合格したのみを持ってそれを承認欲求を満たすだけに用いたとするならば、これほど無意味な営みはないでしょう。

ついでに書くと、自分は到達点を持って「成功」とする考え方はあまり好きではありません。政治思想の用語で社会主義という言葉がありますが、これにも大変大雑把にくくって潮流があり「革命」と「改良」があります。「革命」はゴールがあるが「改良」はゴールがない。細かく言えばいくらでもかけますが際限がないのでこれでご容赦ください。その思想の歴史をみれば、「革命」は大変な犠牲を出し、「改良」は現実的な成果をあげました。

では、「成功」にくくる当事者の考え方を鑑みてみるとゴールを求めすぎているような気がします。「成功」はある意味ではユートピア(理想郷)であって、それ自体は意義がありますが、あまりそれに引きずられるのはよくないです。歴史を見れば、そういうケースでは、それを維持するためにPowerを広範に用いるようになったものです。

改良し続けて、生きやすくしていくほうが長期的には有意義でしょう。

終わり

2022年5月27日金曜日

雑記:国立国会図書館デジタルコレクションを見て再度利用者証を登録

 5月18日に国立国会図書館デジタルコレクションの「個人向けデジタル化資料送信サービス」の提供が始まりました。

これは要するに、自宅のパソコンやスマホからデジタル化された資料や絶版本が見られるサービスになります。平たく言えば電子書籍閲覧サービスであります。これが国会図書館の登録者証があれば誰でも見られるということになります。


このサービスが始まると聞いて、以前登録していた国会図書館の登録者証を探しました。そうしましたら登録者証はありましたが有効期限がとうの昔に切れておりまして改めて登録し直したものでありました。

さて、登録方法についてですがこれまでは国立国会図書館で直接登録と郵送でやり取りする2種類がありました。今回のサービス開始と同時にインターネット上での登録も可能になりました。このネット登録は仮登録と本登録の2種類があり、前者はメールアドレスで行うことができ、本登録は身分証明を添付したファイルを登録時に送信します。確認には5営業日かかるようでした。


私は5営業日も待っていられなかったので、先週の土曜日に登録へ行ってまいりました。

出発前に下調べを行いましたが、現在国立国会図書館は一部の時間帯で予約制を実施しているようです。


朝早くなら登録利用者は入れるということです。私はGWの自転車レンタルの際に痛い目を見たので仮登録をしてそれを本登録にするという体で登録に行きました。

土曜の朝はやく、当日は大雨でしたが奥の新館入り口入ってすぐに登録カウンターで登録作業を行いました。現地まで行けばスムーズに登録が可能で、必要書類も保険証でOKでした。

実際にサービスを使う場合にはNDLオンラインからログインし、「個人向けデジタル化資料送信サービス」の規約に同意する必要があります。その後で、「国会図書館デジタルコレクション」にログインすると利用ができるという流れです。

国会図書館デジタルコレクションのトップページには検索窓がありますが、「図書館・個人送信資料」の項目にチェックを入れて検索すると、このサービスによる資料へアクセスすることができます。

資料の閲覧は、スマホとタブレットとPCで確認してみましたが現状、PCのモニター(20インチくらい)でみるとよく資料を閲覧できるというところです。今回の開放では硬い資料が多いですが、在野の研究者だったりあるいは物好きにしてみると福音なのかなというのが個人的に感じたところです。

それはなぜかということなのですが、国立国会図書館の電子化された書籍の閲覧サービスというは、自由に閲覧できるようにみえますが実は制約が大きいもので、国立国会図書館、公立の図書館双方で時間制限があって、その時間でなにかを見るとなりますと基本的に事前に閲覧予定資料をリストアップしないといけませんでした。自宅からですと時間制限がなくなる、即ち自由に見ることができるので、在野での研究のしやすさは格段に改善されたと思われます。

個人的には、かつて研究していた分野の資料だったり地理関係の資料が結構開放されたので、例えば街の施設の由来だったり、あのとき政治がどう動いていたか、何考えていたのかみたいなのがより明瞭に調べることができるようになったというのが一番うれしいところです。

そこと既存の図書館でもあるような資料と突き合わせていくと色々わかるところがあるのかなというところです。

終わり

2022年5月24日火曜日

メモ:基本的な言葉使いは大事であるということ

きょうの昼休みにアプリでTwitterを見ていたらとんでもないものを見てしまった。

発達の当事者同士(男女)が言い争いをしていたのはどうでもよかったが、男性の方が放送禁止用語を使っていたのに愕然とした。

同性でこの単語(ここで明示すれば規制がかかるような言葉であった)を話すことすら完全に大問題であるのにこれを異性に向けていい言葉ではない。まさに人を傷つける言葉であった。

百歩譲ってPCブラウザからならあり得る発言だろうか。そんな事も思った。
問題発言をした男の書き込みツールはスマホからであった。
大変常軌を逸しているアカウントだと思った。
女性の当事者もよくこんなのに返事をしようとしたものだ。

私は光景を見て次のリンクを思い出した。


この、全部めくったときに、“男(女)”が出ちゃうタイプ
申し訳ないが、卑猥な発言を行った人は男が出ちゃうタイプなんだなと感じた。ナチュラルに異性にこういう言葉をかけるというのは明確に尋常ではないといえる。

自分は、障害当事者としてこの光景だけではないが、色々観察する中で思っているのは発達にかかわる界隈は男(女)がさらけ出してしまう人が多いような気がすることである。自らをどうコントロールするか。これは難しい課題ではあるが、言葉遣いを正すことは人と話をする場合に1丁目1番地として求められるスキルである。

終わり

2022年4月18日月曜日

雑記:障害者雇用率の対象拡大検討と実態の話


>>厚生労働省は12日、障害者雇用促進法に基づき企業に義務づけている障害者雇用の割合(法定雇用率)の計算方法を見直し、週の労働時間が20時間未満の障害者について、雇用率に算入する方向で検討する考えを明らかにした。

記事によると障害者雇用率の計算方法を見直し、週労働時間20時間未満の障害者について雇用率に参入する方向で検討するとのこと。

記事にありました想定には、労働時間の下限を週10時間とする案が検討されているという。

記事に関して補足すると、週10時間ですがこれは現在、雇用率にはカウントされていないものの補助金の対象になっている。


そして週20〜29時間については精神障害者についてはカウントの特例が一部適用されていて、条件を満たした場合は通常0.5カウントのところ、1でカウントされる状態となっている。


当事者の知り合いに聞いた話によると、週20時間で勤務を行っていると、欠勤などがあった場合にカウント方が変わってくること(勤務時間が足りなかった場合0カウントになる月が発生する)があるようだ。

その話を聞いて思ったのは、現状週30時間勤務が人総的な事情を考慮した上では障害者雇用の最低ラインなのだと思った。勿論施策を打てば20時間かっきりでも対応可能だろう。ただ、30時間あれば、施策を特に打たなくてもバッファの中である程度対応できる。

その上で、個人的な考えとして、週20時間未満でも雇用率へのカウントが仮にできるようになった場合、週20〜29時間勤務の範囲の障害者雇用の労働者も恩恵を受けることができると思われる。

終わり


2022年4月8日金曜日

メモ:当事者を敵視する当事者

https://twitter.com/hkni_n/status/1511508482410749956

個人的にこの見解は鋭いなと思いました。

吾妻ひでおさんの書いた漫画「アル中病棟」にも院内で障害当事者(入院)をバカにする障害当事者(通院)の光景が描かれていたのを思い出しました。これは通院経験した側の個人的な見解ですが、そういう見下しみたいなのは、見える見えない問わずあります。漫画もこの光景について吾妻ひでおさんらしきキャラが「外来患者だな お前もかなりヤバいぞ 青年」と心でつぶやいているわけです。


自分も観察でいろいろ当事者の話を見ていますと、当事者を攻撃する当事者というのはきれいな言い方であれば屈折した、明け透けもなく言えばやばい人が結構います。

ただこういうのは境遇とかルサンチマンだったりとかシニシズムなどがごじゃごじゃに混ざったようなのが多いです。それは当事者のコミュニティでかわされる話でいえば「発達障害の闇」なのかもしれません。しかし観察している限りではそれは発達障害の闇なのではなく本人自身の闇なのではないかなと思うこともあります。

私はそういう事例を見ながら自分がそうならないためにどうするかと考えることが多いです。

考えた上での結論としては、気晴らしだったりこれだったら負けない、自分の世界にインできるような領域があるとまた違うんだろうと思います。

そういう意味合いでは可哀想な感じはします。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...