2022年12月26日月曜日

雑記:東京の雪について

東京の雪についてである。

 歴代の積雪深については1875年から記録が残っており、気象庁のサイトのデータをもとに整理した表によると積雪深が最も深かったのは1883年2月に43センチであった。雪をとっても東京だけで結構積雪は変わってくるところはあるので、もしかしたらそれ以上に積雪深があったところは関東地方でもあったのではないかと思われる。

 最近では8年前の2014年は大変な大雪が2回あった。特に2回目の雪のとき、夕方から降り方が激しくなってほうほうの体で帰ったことを思い出すものだ。その翌朝、私は小さい頃90年代の終わり、当時で60代〜70代であった書道塾の先生が「昔は東京でも膝スッポリ入るくらい雪が降ったものよ」と言っていたことを思い出し、本当にそこまでの雪が降ることってあるんだなと感じたのを覚えている。

 ちょうど梅が咲いていたのとその日が土曜だったので梅を見にその頃住んでいた実家の近所の郷土の森公園へ行こうとしたのだが、歩くのが大変だったのとたどり着いたところで臨時閉園で入れなかったものであった。

今年は雪とか以前に寒い日が多いなぁと思いますが、暦の上ではもう春です。

朝礼のネタとしてはボツにした。

終わり

2022年12月25日日曜日

雑記:北京五輪開催期間中の話

一部を再構成。

 11日(金)の午前、北京オリンピック、スノーボードハーフパイプの決勝が行われ、平野歩夢選手がはじめて金メダルを獲得した。私は掃除をしながらテレビの中継を見ていたが、3回目のときにサブチャンネルのご案内がでたのにはタイミングが悪いなと思うところがあった。途中から視聴し、あとでYoutubeのNHK公式チャンネルにて再確認。

https://twitter.com/JunctionLIVE/status/1491968768247230466
おい
なんというタイミングでサブチャンネル切り替え案内

(自分のツイートの引用) 


 競技結果としては2回目と3回目でトリプルコークフォーティーン・フォーティ(縦3回転横4回転)をオリンピックではじめて決めたということだった。

 土曜の毎日新聞朝刊によると2回目は点が伸びずに、本人にも3回目、横4回転半の新技を導入するか迷いが生じたとのことであった。そこで平野選手は2回目と同じ流れを行い、逆転をしたのですがこの迷いと決断の過程はとても興味深いものがあった。

補足
その朝刊記事は電子版によると下記である。

 興味深いと感じた箇所は次の記述。
 最後のランを前に、迷いが生じた。未公開だった横4回転半の新技を投入するか否かだ。「新しい技をするのはリスクが高すぎる。高さと着地の完成度を高めれば上回れる」

 新しい技をするのはリスクが高いため、精度を上げることで確実さを狙ったということなのだが、この決断をこの状況下で行うのは驚嘆であると思った。同時に、このリスクを無理に取らず最適解の判断力の優れたところは仕事を考える上でも参考になるだろうと記事を見ながら思ったところである。


終わり

2022年12月24日土曜日

雑記:新暦と旧暦

今年色々調べたネタを順次再構成して記載する。

 新暦では正月は1月。しかし旧暦ではまだ正月でない。

 旧暦というものがあり、旧暦はだいたい新暦の1月末から2月はじめを指す。日本を除く東アジア圏では春節などとされ、こちらが本来の正月となっている。日本は明治からグレゴリオ暦、新暦に移行したが、それは1873(明治6)年のことでこの年より日本では新暦が採用された。明治時代の初期までは、日本でも旧暦で正月を祝っていたという。

 国立国会図書館のオンライン資料を参照する限りでは1872(明治5)年12月3日が1873(明治6)年1月1日になったそうで、周知期間が短かった為、当時は混乱したようだ。その後、しばらくは公文書には新暦と旧暦が併記されていたようだが、1910(明治43)年には完全に新暦に表記が統一されたということのようであった。

朝礼で喋る際に使用した補足

その1 旧暦・新暦の併記に関する使用状況
 旧暦から新暦へ移行したあとしばらくは旧暦が併用されたとあるが明治22年の「明治二十二年両暦使用取調書」によると、次のような状況であったという。

 調査結果からは、当該期の年始の祝い方には、以下の四つの類型があることがわかったーー従来からの慣習を踏襲し、旧暦の正月にのみ年始の祝いをする「旧正月型」、新暦の一月一日に年始の祝いをする「新正月型」、新暦と旧暦の正月に二度年始の祝いをする型で、多くの場合、どちらかに重きを置いている「併用型」、新暦や旧暦の元旦に年始の祝いをせず、新暦二月一日を「月遅れの正月」などといって祝いをする「変容型」である。改暦により、人々は生活の改変を余儀なくされていくが、とりわけ農業・漁業関係者にとって新暦はなじみにくいものであった。当時の年始の祝い方からは、人々が単純に新暦を受容するわけでなく、旧暦に愛着を抱きながらも、生活を円滑に営めるように自発的に暦を解釈していく過程なども垣間見えて興味深い。年始を二度祝う、あるいは旧暦正月に近い新暦二月一日を「月遅れの正月」として祝うという、習慣と齟齬をきたさないように工夫した新しい形式の年始の祝い方はその好例といえる。 (下村 364)

 曰く、農村・漁村では馴染みにくいものであって、新暦を円滑に営めるような解釈をしているのが興味深いとされている。この調査の意図に関してはただ新暦を普及させていくだけでなく、従来存在しなかった神社の例祭日や皇室行事にまつわる祝日などが追加されていく中で暦日意識を定着させることを意図していたのではないかと思われる。

その2 旧暦新暦の使用
下村育世「明治改暦後の新旧暦使用―『明治二二年両暦使用取調書』の基礎的研究 ―」”高崎経済大学論集no.60,2018によると、都市部の官職においては比較的早くから新暦が浸透していたが農村や漁村では旧暦が引き続き用いられていたことを明らかにしている。

終わり

2022年12月16日金曜日

雑記:就農の危うさに関して思うところ

この記事の続きの話です。 

技能実習制度見直しへ 有識者会議 制度の存廃や再編含め論点に(NHKニュース)

やはり動きがありました。
以下引用です。
今後の論点として、
▽技能実習制度を存続するか、廃止するか、
▽人手不足の12分野で外国人が働く「特定技能制度」に一本化して再編するのかなどのほか、
▽技能実習生の受け入れを仲介する監理団体の在り方などを含めて検討することを了承しました。
 このような動きで技能実習制度の見直しが行われた場合、その場合の代替は私の考えるところでは障害者、並びに障害者と農業あるいは工場現場との関係性で捉えられることになるでしょう。なぜそう考えるか、それはつぎの2点。

  • 障害者と農業への就労との関係性:これは就農であるが、これは都市と地方を問わず一定の動きとしてすでに成立している
  • 就労継続支援B型事業所:すでに施設外就労という形で取り組みが行われている。施設外就労で加算もあったりなかったりするが実習という形式や法の枠組みとして就労継続支援B型事業所は最低賃金を適用しなくても良いという特徴がある。
技能実習制度が抜本的に変わった場合、最低賃金以下で雇うために上記のスキームを援用・拡大する形で障害者が技能実習生の代わりを担うことになるだろう。その場合あくまで個人の推測だが、障害者の人権保障が難しい事態が生じるのではないかと懸念する。

最後に、こうなるのではないかという発想に至ったのは、障害者の就農が世界史の古代ローマにおけるラティフンディア(世界史の窓)に似ていると思ったからである。

終わり

2022年10月9日日曜日

雑記:20代は何でもできるという話

 この頃はTwitterも高齢化が進んできたようで、バズる話も若さではなく若いことの偉大さみたいな話が増えてきている。

そんな話を見て、自分も10年くらい前のことを思い起こして書いてみようと思う。

この前、アラフォーになった私が20代だったのは今から15~5年前のこと。

昔、自らが精神病と向き合うために書いたドキュメントを振り返るならば、そこに書かれていたことは短く言えばつぎのようなものだった。
  1. 好きなことばかりやっていた(サークル、オフ会、政治学)
 Twitterなどによるとこの頃の若い世代は損得勘定で自分の趣味を決定するところがあり、それ故悩ましいことになるみたいな話を聞く。

 右へ左へわけもわからず飛び回った自分から見ると、最近の若い世代はとても大人びているように見える。しかし、"若さ"というのはある種の特権でもあるのでそれを生かしてどこにも飛び回らない生活をしていくというのは寂しいものを感じる。

自分は今思えばわけもわからず飛び回っていたが、結局コスパも損得も考えないことで自らの問題に割合早い段階でぶち当たり今に至るきっかけを作ることができた。

これは副産物だと自分では思っているのだが、役に立たないけど好きなことにアホみたいに打ち込めるのは20代、それも学生時代がマックスなので若いうちに打ち込みたいと思ったことはどんどん打ち込んでおいたほうがいい。

それが将来の財産になると自分が学生時代のころ先人のおじさんおばさんたちは言っていたがこれはやっぱりそうで、この面白いところは直ぐに反映されるわけではなく、年月の経過とともに少しずつ反映されるみたいなところがある。ある日トイレで用を足しているときに突然反映されることもある。そういうものなのだ。これは20代後半くらいで気がついた。

それを踏まえて1つ言及する。

  1. 20代の発達障害者はやりたいことに打ち込め
 自分が、こういうふうに好き勝手やって人に言われても止まらなかったのは今思えば発達障害だったからであるのと、親がその辺をあまりうるさく言わなかったからである。病気を認知する段階では親はうるさく言っていたが、それとは別に専攻や趣味などに関してはあまり言わなかった。

 専攻や趣味にうるさく言わなかったのは今になってなんと幸いだったかと思う。ネットの当事者を見ると、抑圧されたり、うまくレールを作ることができず迷走していった人が結構いるからである。

 一方で当事者でも20代で好きな様にやっている当事者はいきいきしている。年配のおそらく抑圧され続けた当事者からやっかみがたくさん飛んでくるようだが、それに負けず(ブロック、ミュートを使いこなして)に奮闘してほしい。

 若さはある種の特権であり、そこで築いたことが今後につながる。築いたことからの上積みで生活は成り立つのだ。

終わり

2022年9月16日金曜日

メモ:この頃の大学生の就活動向

大学院生を経験すると卒業後も時折手伝いなどをする機会があったりします。
その有無は教授の特徴いかんによりますが、私の場合はそういう機会が生じたということです。ありがたいことと思います。

今回学部3年生のゼミ発表にゲストとして参加することになりました。
正直言えば、結構緊張しています。
なぜかといえば、私が学生をやっていたのは10年前。10年で世の中は様々変わりました。
10年前はリーマンショックと言われた時期で不景気でありましたし、今のようにコロナウイルス禍でもなくまたスマホもそこまで普及しておりませんでした。

下調べのデータも不足しておりましたので、この頃の情勢はどんな感じなのか新聞の大学面のバックナンバーを中心に調べてみました。すると次のようなことがわかりました。


記事によると24年卒はこれまでより早期化しており、インターンシップも夏から行われる傾向は強まるとされておりました。一方で一日インターンシップも依然数が多く超短期のインターンが就活に経験として活かせるかは不透明であるとのことでした。


選考の形態はオンラインと対面の混合型が広がっており、個人の考えとしてコロナ禍前の就活動向とコロナ禍以後では変化が生じていることがわかりました。


学生の実態としては、コロナ禍である2020年入学ということもあり、コミュニケーションが少ないことや構内閉鎖に伴う心の問題が浮上しているとのことでした。

少ない時間では負うことのできる題材にも限界がありますからこんなところなのですが、このように見ていくと24年卒の世代というのは非常に取り扱いの難しい世代なのかと思います。

この他のトピックとしては障害者学生に関するところはまだ新聞は終えていないようで、読売新聞に「持病をどう提示すればいいのか」という質問に対して「ケースバイケース」といったような回答があるなど、障害者学生における新卒が進んできている中でもまだトピック性がないのかなぁと思った次第でありました。

話は別ですが新聞と就活なども色々見ていて今更ながら思うところというのはあります。これは余力があれば書きたいと思います。

何かあれば追記します。

とりあえずここまで。

終わり

2022年9月10日土曜日

時事メモ:エリザベス2世の死去

 朝礼で失敗したネタを供養すると書いたのでこの話を取り上げます。

なぜこんなことをいうかといえば当日朝、マイクが入らないハプニングがありうまく話せなかったからです。


  • エリザベス2世死去


 イギリスのエリザベス2世の死去が日本時間の金曜日早朝、報道されました。NHKプラスのバックナンバーを見ると、金曜日の午前2時半ごろ自然紀行番組の放送中にニュース速報が入り、まもなく臨時ニュースという形で別途スタジオから詳報が伝えられていることがわかりました。次の金曜くらいまでは確認することができます。


 イギリスBBCではBBCワールドニュースのオープニングで使用される赤色で彩られた地球儀を模したCGが灰色になっており「News Report」という題名で、喪服のアンカーがバッキンガム宮殿からの発表としてエリザベス2世の死去を報道しておりました。


 金曜日の朝刊には間に合いませんでした。朝刊の最終版の締め切りは経済広報センターにある「企業広報の基本」によるならば午前2時ごろとされており、その時間を過ぎていたためです。新聞の詳報は電子版を除くと紙面での報道は金曜日の夕刊からとなっておりました。評伝も含めた詳報は土曜日の朝刊に掲載されていました。新聞各紙による詳報を見る限りではエリザベス2世は1926年に生まれ、1952年に即位、そこから70年もの間治世を行い、ヨーロッパではフランスブルボン王朝のルイ14世(リンクは世界史の窓)の72年に次ぐ統治期間であったとのことでした。


 在位中に亡くなったと聞いて、上皇陛下の生前退位のことなどを思い出し、風呂敷をたたむことの難しさを改めて痛感しました。しかしながら、今日、各種記事を読んでいる限り1947年4月21日、当時21歳であった即位前のエリザベス女王が「私の人生、長くても短くても帝国という大きな家族への奉仕にささげます」とラジオでイギリス国民に語りかけたように、まさにそれが生涯であったのだろうと思いました。


 個人的に記事を読む限りですごいなぁと思ったのが、変化し続ける王室を体現していたこと、とりわけ1997年のダイアナ妃の交通事故死を受け、イギリス国民の批判を受け王室への支持率が最低に落ち込んだとき、そこから挽回するために積極的に動いたというところでした。「君臨すれども統治せず」というけれども、政治的な嗅覚は凄まじいものがあると思いました。


終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...