2021年9月8日水曜日

派遣を行う子会社の特例子会社化

 こういう記事がありました。

要するに、親会社の子会社で人材派遣などを中心に行っている東急リバブルスタッフ株式会社が特例子会社の認定を受けたという話なのですが、興味深い記事であったので少し調べてみました。するとJEEDの啓蒙雑誌である働く広場に紹介事例として取り上げられていたのを確認しました。


20頁〜24頁
該当箇所からざっくり見ると次のようなところでした。
模範事例といった形で取り上げられていました。
  • 業務支援を中心にした仕事内容
  • サポート体制の整備
2年後、21年3月号にはリーダーズトークのコーナーに障害者雇用の状況について言及がありました。これを見るとなぜ既存の子会社を特例子会社化したかという背景が見えてくるように感じます。文章を確認したところ、概ねこんなところではないかと思いましたのでざっくりまとめました。
  • 業務のAIやIT化に際して障害者の長所をどういかすかという問題
  • 障害者雇用のチャレンジの幅を広げたい。
  • サポート体制のシステム化
1点目のAI・IT化については言葉を変えればDXとも言いますが、これが進んでいる中で今までだったら求められるようになってきている。そこにどう対応するかスキルを習得させていくか、21年3月号の該当の記事には量より質であるという話がありましたが、たしかにそうで色々とネットの障害当事者の話を閲覧する限りでは、ある程度整っている会社であれば内製化していったほうがトータルの費用は安くなるのかなというところは考えるところがあります。2点目については、ここは完全な推測になってしまいますが、業務支援で身につけた仕事を様々な評価を経てグループ内の会社に派遣(参考1)し、活躍することを通して、将来的にはグループ内の会社の社員として完全な定着をさせていくことを狙いにあるのかなと感じました。グループ内適用(参考2)を実施しているのであればそのような運用も不可能ではないでしょう。ここについては完全に自分の勝手な考えではありますのでご容赦ください。3つ目はこのようなものはサポート体制が属人化するところがあって、システム化することで安定した運用を目指す意図があるように見えました。

  • リンクによれば派遣労働者の障害者雇用の場合派遣元事業主に雇用義務が課せられるという。

終わり

2021年8月26日木曜日

パラリンピックの開幕

東京オリンピックが終わり約2週間。
今週、パラリンピックが開幕しました。

障害当事者でもあるのでこの話題について、少し触れておきます。


新聞にはパラリンピックの歴史について取り上げられていました。
それによると歴史的流れは次の通り
  • 1948年:イギリスの病院で障害者によるアーチェリー大会が開催
    • ストーク・マンデビル病院 ルートヴィヒ・グッドマン医師
  • 1960年:五輪開催後のローマで開催。第1回パラリンピックとされる
  • 1964年:五輪開催後の東京でパラリンピック開催。「パラリンピック」の愛称を用いる
    • 「パラブレシア(下半身のまひ)」と「オリンピック」をあわせた造語
  • 1988年:ソウルパラリンピックよりIOCは正式に「パラリンピック」の名称を認定
    • 「パラレル(並行した)」「オリンピック」という意を持つように
  • 1989年:国際パラリンピック委員会(IPC)が創設
  • 2000年:IOCとIPCは五輪開催国にパラリンピック開催を義務付け
競技は障害の程度によってクラス分けされるという。この辺は自分はよく知らなかったので記事を読んで勉強になったが、曰く「まずTかFか」で分類され、その次に障害の種類で1〜6に区分けしさらに障害の程度で数字を分類するという。

近年は、障害者の祭典としての性格だけでなく、最新技術のショーケースのような側面を持っているとされ、焦点は当たりづらいですが、奥の深い事情を持っていることがわかる。

今回は開会式が話題になったが、64年の開会式の様子については次の記事で取り上げられている。


それによると、開幕式は五輪の2週間後の11月8日。東京・代々木公園陸上競技場だったという。行進のときに流れた曲は「上を向いて歩こう」だったという。なんでも寄付金を募ったり、チャリティコンサートを開いたりした経緯があったという。この点は読んでて興味深いものだった。

その他当日の様子が様々書かれているので興味があれば有料登録となるが閲覧が可能である。

終わり

2021年8月19日木曜日

論文の読み方などについて

就労の話ではないのですが、最近新聞を賑わせた差別発言に関係して、色々見ていたら興味深い書き込みがSNS上にあったので紹介します。

なぜ、科学的であることをウリにするYouTuberの論文紹介の方が、専門家のそれよりも多くの人に信用されるのかというと
「いくつもの実験条件を満たした場合にだけその実験結果になる」と専門家は言うのに対し、YouTuberは実験条件の細部に言及せず、いつでも成立する法則であるかのように断定するから
これは興味深いなと思いました。
と、同時に論文の読み方を巡る話だと感じました。

なぜそう思ったかについてですが論文の読み方一つをとっても大学などの高等教育における教え方には違いがあるからです。私の個人的な経験からその話をします。論拠などはなく学生時代に受けたカリキュラムに基づいた経験的な話であることを予め明記しておきます。その上ではじめにまとめを記載し個別に詳細を書いていきます。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
各項目の話をします。
  • 学部時代に執筆する卒業論文は1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれていた
学部時代卒業論文というものを執筆しました。もちろんそこに至るまでには概論、専門教科、ゼミなどがあるわけですが卒業論文の前段階のゼミで、なにか主張することとその論拠の正しい示し方について教育されます。その教育に基づいて、卒業論文を執筆するのですが、基本的には1〜2万字を「書く」ことに重点が置かれています。作法も大まかなところは担当教授の指導が入るのですが、この段階では「書く」ことのほうが重要視されていました。作法云々というよりは書くという経験を通して長文を書くということはどういうことかを身に着けるということであって、このスキル自体は社会人あるいは労働者として働くに際して重要な経験になるわけです。
  • 修士時代に執筆する修士論文は「先行研究」をレビューし事例を調査しその結果を考察する「論文」としての作法を学ぶことに重点が置かれていた
修士課程になると論文に対する考え方が変わります。学部時代では「書く」ことに重点が置かれていた論文の執筆が修士になると論文の作法を緻密にレクチャーされることになります。例えば、脚注や引用の仕方であったり、「先行研究」のレビューを行いそこから判明していないことを見つけ、調査を行いその結果新たに何がわかったかわからないかを書くといったところになります。

修士を修了して○年たちますが未だにこれは苦労するところがあります。
  • 冒頭で示したツイートを例にするならば前者は論文の作法に基づいたものであるが後者は論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえる
冒頭、紹介したツイートに話を戻します。
このツイートはおそらく論文の読み方に関する話だと思います。読んでみて、前者については修士以上の人であれば納得があると思います。論文を書く際に必要な研究のレビュー・調査・考察に基づいた話し方でわかりにくさもあるが学術的です。一方で後者についてはわかりやすいですが、論証をする上で最低限の条件しか明示していないといえます。

動画などのリッチコンテンツはどうしてもわかりやすさが求められるので、いろいろなところをはしょったり、竹を割ったような物の言い方をしがちではありますがそれゆえ危うさもあります。「地球は丸い」といった普遍的な事実であれば竹を割ったような言い方でも問題はないかと思いますが、最新の研究や海外の研究を参照するときは、断言をするのはよくないと個人的には思います。知識を適切に紹介するというのはかなり高度なスキルが求められるのではないかと感じました。

終わり

2021年8月7日土曜日

発達障害と強みを活かす

こういう記事がありました。
この記事に対する評は短めに行います。


読売新聞の記事で、発達障害の特性がIT業界で活かされていることがデジタルハーツプラスの事例と、IT特化型就労移行支援事業所「Neuro Dive」の事例で紹介されています。

発達障害の特性を仕事で活かすための説明の画像もあるのですが、それによりますと特性をストレートに捉えるのではなくて見方を変えるというところがポイントになってくるというところです。

身も蓋もない、だからなんだという話なのですが、細かい事例はJEEDのレファレンスサービスにあったりするものなのでより細かく知りたい場合はそちらをあたるとよいかなぁというところ。


終わり

2021年8月1日日曜日

選択的週休3日制と障害者雇用について

 こういう記事がありました。


選択的週休3日制は、柔軟な働き方を選択できる制度で介護や育児の過程にある人の離職や仕事やボランティア活動などの両立をすすめるとされていると記事にあった。いくつかのトピック(2点ほど)をあげてこれについて考えるところを障害者雇用の視点で言及したいと思う。

なお、記事自体はバランスの良い構成になっている。論者は株式会社ワーク・ライフバランス社長小室淑恵さん、同志社大学教授太田肇さん、SOMPOひまわり生命保険執行役員人財開発部長の邨上英彰さん。それぞれの論を見ると、小室さんは理論的な枠組み、太田さんは実態の話、邨上さんは制度の実際を企業の立場から書かれているように見えた。

トピック
小室淑恵さんは次のように言及している。
現在、人手不足が指摘されている。しかし、育児や介護を抱えたり、障害があったりして週5日のフルタイムの勤務が難しい人たちは企業に採用されにくい。採用されても、非正規雇用で給与を抑えられているケースが多い。
続けて、この原因は週5日働ける人が労働力とされていることを指摘し、そうでない人は正規雇用として認めてこなかったと主張している。その上で、正規雇用の基準を変えればそのようなことを変えることができるとしている。

続いて、太田肇さんは日本型の雇用システムをあげながら次のように説明している。
 欧米企業のように、それぞれの社員の役割分担や職務範囲が明確になっている組織と異なり、日本では企業という共同体のなかで社員が部門や組織の一員として仕事をしている。
欧米のジョブ型と日本のメンバーシップ型の違いの提示を行っている。その違いに基づいて制度導入したときの難しさ、選択的週休3日制を導入した場合、減少する可能性の高い給与面での問題や副業を行ったことによって結果的にメンバーシップ型での帰属意識の低下などを誘発する可能性があることを指摘している。

最後に邨上英彰さんの話として、制度を実際に利用している人の殆どが女性であることに言及し、男性の利用が少ない背景として昇進・評価への影響があるのではないかと推測していた。

ここまで見たときに個人的に考えたことは2点。
  • 柔軟な働き方と障害者
  • ジョブ型とメンバーシップ型
  • 柔軟な働き方と障害者
一見、この選択的週休3日制という制度がすべての階層に適応されうるように見えるが、障害者雇用の実態を見ると、ここで語られている内容は日本型雇用システムの枠組みに収まった層が様々な困難に見舞われたときのバッファ(緩衝装置)としての選択的週休3日制の概念であって、障害者雇用のカテゴリに応用するのは現段階では難しいと見ざるを得ないというところと考える。言い換えると、次のようになる。

    • 正社員 → 多様な働き方としての選択的週休3日制(介護・入社後の障害)
    • 障害者雇用 → ✕ 多様な働き方としての選択的週休3日制
  • ジョブ型とメンバーシップ型
その要因としては雇用形態が違うということが挙げられる。例えば、この議論でいう正社員はメンバーシップ型である。メンバーシップ型は、長期雇用を基本としたものである。できるだけ長く雇用を行うということが前提として考慮されている。それ故、多様性を持った勤務形態を導入することでできるだけ長く活躍いただくという事が成立する。ここの論では小室淑恵さんに限って、障害者を考慮した言及をされていたがこれも実態を考えるとメンバーシップ型をベースにした話につながって来ると考えられる。一方で障害者雇用はメンバーシップ型というよりはジョブ型が多い。ジョブ型は職務を限定した勤務形態である。日本ではあまり一般的ではないが、障害者雇用では職務を限定した業務を割り当てることが多く障害者雇用に関して言えば一般的である。雇用形態もメンバーシップ型は無期や正社員なので簡単に解雇はできない。一方で障害者雇用では契約期間を定めて勤務を行うケースが多いので、契約更新時にその間の勤務実績をもとに契約更新の可否を決定していく事が多い。このようなことから、障害者雇用においてこの形態を適用させるのは日本型雇用システムの枠組みから見ると難しいというのが現状の個人的な見解である。

終わり

2021年7月29日木曜日

やまゆり園事件から5年 個人的な影響


やまゆり園事件から5年が経ちました。
この事件は障害当事者として非常に衝撃が大きく、生きることに対する考え方も大きく変化したという点で影響の大きい事件でした。
  • 事件当時の感想
朝のニュースの中継映像を見て唖然としたのはよく覚えています。
そして、数日後に教育テレビで放送された「ハートネットTV」の緊急特番で身を裂かれるような当事者の声を見て号泣したこと。さらには、この事件の犯人がなんと同じ大学の出身であったことを週刊誌で知り更にショックを受けたこと。事件を巡って差別的な発言・見解をする友人の反応を見て愕然としたこと。

色々思うところが当時ありました。
こういったことからちょっと感傷的ではあるのかもしれませんが贖罪という意味を込めて献花に行くということも行いました。写真は撮りませんでした。こういうのはある種の信念で行くもので写真は撮らないに限るものだからと考えていたからです。

  • 献花に行ったこと
献花に行ったのは事件から1ヶ月ほどたったころでした。実家からは距離がそんなに離れていなかったのですがアクセスは非常に悪かったです。

近郊電車を乗り継ぎ、乗換駅で花を買い、花屋の主人にいくつかの話を伺い、電車を乗り換え相模湖駅で降りました。そこからバスに乗っておおよそ30分ほど。しかしそのバスも1時間に1本で1度降りると折返しのバスとして戻ってくるまで待たなければならない。車で行くにしても中央道の相模湖インターあるいは相模湖東出口からのアクセスになります。

事件前より、論考や論文を見たとき、障害者施設が非常に山奥に作られていたなどという話を見ましたが、ああこういうことかというのを実感しました。

  • 個人的に納得があった論
事件当時、専門家だったりとかパラリンピアンなど様々な人がこの事件に対して論を展開していましたが、このあたりであんまりピントが完全にあったものがないなぁと思っていたのですが、国立精神・神経医療研究センター病院の松本俊彦さんが当時、ヨミドクターの連載で掲載した記事の末尾は個人的な経験から納得がありました。


すべては「タラ・レバ」の話です。しかし最近私は、もしかすると今回の事件は、「障害者が障害者を殺傷した」という悲劇的な構図であったのではないかという考えに傾いています。

要するにある種の人間の闇なのですが、その人間の闇を形作るのはなにかということを考えると、様々な要因が絡んでくるというのはあるんだろうなぁとはこの頃から思うことです。

  • 最大の変化
この上で、この事件以降の自分の考え方の変化といいましょうか、自分が持つニヒリズム・シニシズム に対する感覚が変化したというのが一番大きいです。結局、事件の背景にある全体主義的思想などを見るとこのようなものが台頭するところには、どうしてもニヒリズムやシニシズムだったりはあるわけでつまるところこの事件の死刑囚はこういう考えがかなり強い人間だったというところだと思います。だからこそ、こういう考えと正面から向き合って、ある種のニヒリズム・シニシズムの克服・コントロールをしていかなければならないのだという思いが強くなったものです。その上で、障害当事者を見るとそういったところを克服できていない人も結構いるんかなぁと思うところはあります。


終わり

2021年7月20日火曜日

開会式不参加といじめの話について


このニュースだけでなく五輪スポンサーの経営者が続々開会式不参加を発表しています。
トヨタ自動車の豊田章男会長の発表に端を発する形のようにも見えますが時系列で振り返ると、小山田圭吾さんの学生時代における障害者へのいじめ問題が関わっているのが否定できないように見えます。これはあくまで推測ですが、時系列で見てみましょう。

ここからは個人的に見聞きした上での見解です。
障害者というのは、一部の方にとっては見えない話なのかもしれませんが、経営層の子息にも普通にいます。私が少ない交友関係(であったものも含む)、生活の中で把握しているだけでも何人かはいます。ですから、自分の考えとしては何らかの拒否反応が経営層から出たのは単純な時系列で見る限り否定はできないと考えます。

ことの性質としてはかつてあった透析患者差別発言のそれに近いものがあると思います。

正直なところ言いたいことは沢山ありますがとりあえず一旦、ここまで。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...