2023年10月9日月曜日

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476

この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。

一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬みや僻みが多く見られる一面があります。

吾妻ひでおの「失踪日記2 アル中病棟」の307頁に「貧乏すると 卑屈になるね」という一文があります。障害者は、お金の手持ちの少ないケースが多いです。

Google検索をもとに生成AIのBARDを使って探索したところ、厚生労働省の「平成30年度障害者雇用実態調査」などをもとに次のような回答を寄せています。
  • 平均年収が200~250万前後
  • 大企業の場合は250~350万円前後
だからなのでしょうか。
障害当事者の中には「稼げない障害者のイメージ」に対してコンプレックスを持っている人もいるようです。しかし、それは冒頭のリンクにあるように「加害者に生まれ変わる」ことでしかないと思います。

ここからはあくまで個人の考えですが、上記のように至ってしまう障害当事者には次のような傾向があると考えています。
  1. 金のことばかり考えておりそれがコンプレックスになっている
  2. 健常者と同じように補助なしで暮らせるものと思っている
1.と2.をわけて書きましたが、実際はほぼイコールです。健常者に対する憧れのようなものが彼らにはあり、そこに近づき達成することで、目的が達成されます。努力をしないとみなした同じ障害当事者には差別的言辞を投げかけ、その努力不足と称するものをあげつらう。

その根底には健常者と同じように補助なしでも暮らせるようにありたいという歪んだ欲求が隠れています。哀れなことに彼らはそれに気づいていません。それ故に根深い問題が横たわっているのであります。

「加害者に生まれ変わる人が結局誰よりも弱いんだ。」
冒頭のリンクの中身ですがこれは本当に名言だと思いました。

終わり

2023年1月2日月曜日

雑記:田舎に行った話

秋に田舎に行った話。

この3連休。金土日に墓参りを兼ねて田舎へ行った。私の田舎は山形にある。


コロナ禍前以来初めて行ったところもあったのだが、3年を経過すると変化も大きく年月の長さを感じた。


個人的に一番興味深かったのはスマートテレビの導入で親戚の趣味趣向が細分化していたところ。スマートテレビというと、ユーチューブやサブスクなどを見ることが出来るものであるが、ちょうど親戚と呑んだときひたすらむかしのバンド、キャロルだったりハマショーだったりなどを見させられた。


挙句の果てには「おれは若い頃不良になりたかったんだ〜」とか言われたので参ってしまった。まぁネットがテレビまで普及するとこういう事が起こるんだなという点で印象深いことでした。


補足

朝礼の際にはここまでしか話さなかったが正直に言えばスマートテレビは政治的な志向も細分化されるところがある。ただ、これは政治的にセンシティブなところがあるからここでは話さなかった。そういったところも含めてこの話の補足を書きたい。


スマートテレビはざっくりいうとテレビにオンライン機能が付加されたもので、代表例にはAndroid TVなどがある。テレビの中ではAndroidアプリのインストールができる。テレビにインストールできるAndroidアプリに本文に出たユーチューブやサブスクがある。ここでいうサブスクはAbemaTVである。


参ったのがAbemaTVやユーチューブを通して政治的に感化されていたこと。例えば、AbemaTVではひ○ゆきという方がAbemaTV内のチャンネルであるAbemaNewsのニュースショー番組にコメンテーターとして出ている。彼の立ち位置は体制内におけるニヒリズムとシニシズムの表明だが、これに60代の親戚が心酔しておりショックであったのをよく覚えている。また、ユーチューブを通して参○党にはまっており、反ワクチンの思想を持つに至っていたの個人的には仰天した。ただし、ワクチンを打たねばならぬ局面ではワクチンを打っていたので、そこはまだ救いがあった。前者に関しては、社会の格差に絶望した人がはまる考え方であり、スローターダイクの本によれば、そういった思想はいわゆる反逆としての動きみたいなのものもあるからそういうものなのかもしれないなと思った。ただ、親戚のおじさんがひ○ゆきが沖縄を揶揄しスタジオの活動家を揶揄した場面では思想的立ち位置が違ってもファミリーネームは馬鹿にしては決していけないと釘を差しておいたものであった。後者については、運動の形態として興味深いものがあるのでこの話は適当に流しておいたのである。


とはいい、昔の思い出の曲がその瞬間であるかのように明確に広がっていくのは面白い話である。かつて、今の40代以下が若い頃Youtubeにはまり昔の曲を再発見したようなことが世代を超えて起こっている。このような動きがスマートテレビの普及で全世代的になっていくのはこれは大変興味深いものだと感じる。シティ・ポップの再発見のような話が小さい規模であちこちで今後起こっていくことだろう。


終わり

2023年1月1日日曜日

雑記:出退勤に聞く音楽

 注:これはスピーチなどでは話していないが傾向としてこういうところであるということである。

出勤時と退勤時で聞く音楽を変えている。

利用しているサービスは、apple musicのサブスクである。これは月額1000円弱を払うことで世界中の音楽を聴くことができる。もちろん、JPOPも対象で一部の非対応の曲以外は聴き放題。サブスクの対象でないものは、CDから取り込むことでローカルに聞くことが可能。

かなり便利である。

このサービスを使うのは通勤時。シチュエーションで使い分けている。

  • 出勤時:ベタでかつ元気が出そうな曲を聞く。こういうときは、昔の定番曲を聞くに限る。具体的な曲名をあげれば恥ずかしくなるが「それが大事」とか「JBOY」だとかがみたいなコテコテの曲が入る。自分の基準で気持ちがあげてさえいければなんでもいいのがポイント。
  • 真夏の出勤時:真夏は朝から過酷である。特に朝から30度ある日は体調を整えていかなければならない。ちょっとでも体調が悪ければ熱中症を起こす。私の友人などは真夏の朝出勤中に熱中症を起こして倒れたものだ。電車の窓と室内の温度差にまた怖いものを感じる。とかく夏は恐ろしい。そういうときは、上げる曲をコミックソングやテクノに軸足を置く。この夏は「J.A.M.の電車で電車でGO!GO!GO!」や「人間大統領」、バブルBなどを聞いた。とにかく狂ったような曲を流さないと猛暑の日はあがっていかないのである。
  • 退勤時:退勤時はバラードなどの少し落ち着いた感じの曲を聞いてテンションを落としていく。
終わり

2022年12月31日土曜日

雑記:2023年を迎えて

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

2023年の目標は以下の添付画像の通り。


各項目について
  • 資格取得:韓国語講座の通塾を通してTOPIKの取得を目指す。また業務で必要な資格の取得も同時に行う
  • 筋トレ:体力の維持増進を目的に週1回プールへ行き週1回ジムへ行くことを目指す。
  • 家事:曜日で行うことをルーチン化する。土日は洗濯・お洗いを行う
  • 意見発信:新聞を主としてインプットを行う。障害者関係は引き続き注視する。その他当事者として語れることは語っていく。
終わり

2022年12月30日金曜日

雑記:2022年を振り返って

2022年ももう終わりです。

この1年、色々なことがあったと思いました。

まずは個人目標を振り返ります。
  • 資格:全く進みませんでした。資格1個は合格しましたがあとは全部どべ。ガス欠です。
  • 宅トレ:これもだめ。ガス欠。ただ春~夏にかけて運動はできたのでそこで一定の成果をあげたくらいです。
  • 家事:これもだめ。ガス欠。奥さんに頼りっぱなしでした
  • 意見発信:情報収集は○、アウトプットも一定程度できたと評価します。
個人目標についてはかなりひどい体たらくでした。自分は2010年代から毎年まとめていますがここで過去の分を見てみます。
  • 2021年:家事と新聞読み、資格取得ができた
  • 2020年:家事と新聞読み。コミュケーションで成果があった
  • 2019年:家事と新聞読み。金銭管理を確立した。
過去3年分を見ましたが、できなかったことについては巻き直し、再起動しそしてまたできないみたいな感じでなかなかの不毛具合です。

来年は地に足をつけた個人目標をたてたいですね。

【日常の状況】
  • 仕事:淡々とこなすことができた
  • 基本的な生活:淡々とこなすことができた
  • 家族サービス:一定程度こなすことができた
仕事は淡々とこなすことができたといえます。しかしながら、色々ありましたし、よく1年走ったなというところです。基本的な事以外はあまりできなかったといった1年でした。

終わり





2022年12月29日木曜日

雑記:鉄道の日を巡る話

 鉄道の日の由来は1872年に日本で最初の鉄道がこの日に新橋と横浜間で開通したことにちなんでいる。

鉄道雑誌の巻号も22年10月となりドコモの読み放題Dマガジンで読むことのできる鉄道ファンでは、鉄道開通から150年間の車両の歴史を取り上げていた。出勤中にスマホで読んだが汽車から貨車まで幅広く興味深いものであったし、その時々で開発される車両のトレンドがあることを確認できた。

展示類も記念展示が多く、首都圏の交通関係の記念館・資料館でもホームページを見る限りでは鉄道150年にちなんだ展示がたくさんあったことがわかった。

私はこの間汐留にある旧新橋停車場の企画展示を見学した。真新しいものはなかったが、展示から初期の鉄道に関する流れを見て、当時の鉄道に対する熱意などを感じた。

8月も終わりに近づき、まもなく9月。季節も秋。秋といえば○○の秋とかいいますが、鉄道も催し物が花盛りの時節なので今年は鉄道イベントも楽しんでいきたいと思っているこの頃であった。

終わり


2022年12月28日水曜日

雑記:健康診断

 きょうは健康診断の話である。
厚生労働省によると毎年9月は職場の健康診断実施強化月間とのことである。

 高校の頃の同級生で友人が健康診断で使う巡回検診車を運転する仕事をしているのだが、今この季節は巡回検診車をあちこちに回していたりするものだ。

 さて、健康診断の歴史ですが明治44(1944)年制定された工場法に健康診断を定期的に行う旨が明記され、それは昭和22(1947)年に施行された労働基準法にも引き継がれたといわれている。

 厚生労働白書の平成26年度版(第1章 我が国における健康をめぐる施策の変遷より)によると当初は結核検診に重点が置かれていたとあった。関連する表を見るととりわけ戦前から戦後間もない頃までの病気の統計には結核による死者が非常に多く、結核との戦いの歴史でもあったことも伺われる。

 戦後暫く経つと、疾病の割合に変化が起きたので、健康診断を含めた保健衛生の目的も変化していったとのことであった。世の中を見ると様々な施策が行われる時期でもある。健康に焦点を当てて色々取り組んでいきたい。

終わり

2022年12月27日火曜日

雑記:放送記念日とNHKプラス

 3月22日は放送記念日である。放送記念日は、1925年、大正14年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始したことに由来している。

さて、最近放送関連でよく使っているアプリがある。NHKプラスである。NHKプラスは、受信料を払っていれば放送された番組を同時配信と放送後の1週間後追いで視聴できるアプリである。似たようなアプリですと民間放送系がTver、ラジオですとradikoがある。私はNHKプラスからこのようなアプリを使うようになったが、使っていく中で今まで注目しなかった番組(例えば、専門分野や特集やバラエティーなど)を任意の時間に見ることができるようになったので結果的に視野を広げるのに役立っている。4月からはスマートテレビにも対応するそうで、地上波をそのまま見るよりは画質は落ちるようですが、それなりの画質で放送後に見ることがテレビでもできるようになるようだ。テレビの楽しみを広げることができる良いアプリだと思うので興味があれば導入いただければと思う。

※朝礼に際してネタを考えたが、読み返すとやはり起承転結が弱いのを痛感する。

補足
NHKプラスのいいところ
  • CMがないこと
TverはCMがあり、これが結構鬱陶しい。民間放送主体なので当たり前の話なのではあるが、働く人には時間がないのでCMはもったいない。
  • 夜中に追いやられている番組をいつでも追いかけでみることができること
NHKにはいろいろな番組があり、民間放送よりも番組のジャンルがかっちり分けられている。また、夜中に放送されている番組や午前のとてもサラリーマンが見るには難しいような時間帯の番組でも気軽に視聴ができる。教育テレビあたりで埋もれている番組を見ることができたことは嬉しかった。
  • 情報が一応体系的に整理できること
これは前の項目とも重なるところがあるが時間の枠組みを一定程度取っ払ってくれるので情報整理にとても重宝する。例えばニュースを1つとっても次のように分類が可能。
  • 国際ニュース:平日の朝(期間限定)と翌日の早朝、土曜に放送がある
  • 地方ニュース:平日昼に放送、夕方は各地の放送を配信で閲覧可
  • 総合ニュース:毎日、放送
それぞれの専門の領域がチャンネル内で確立されているのは知識を一定程度深めることができるのでそれなりに重宝する。

個人的には社会福利に貢献する良い取り組みだと思う。

終わり

2022年12月26日月曜日

雑記:東京の雪について

東京の雪についてである。

 歴代の積雪深については1875年から記録が残っており、気象庁のサイトのデータをもとに整理した表によると積雪深が最も深かったのは1883年2月に43センチであった。雪をとっても東京だけで結構積雪は変わってくるところはあるので、もしかしたらそれ以上に積雪深があったところは関東地方でもあったのではないかと思われる。

 最近では8年前の2014年は大変な大雪が2回あった。特に2回目の雪のとき、夕方から降り方が激しくなってほうほうの体で帰ったことを思い出すものだ。その翌朝、私は小さい頃90年代の終わり、当時で60代〜70代であった書道塾の先生が「昔は東京でも膝スッポリ入るくらい雪が降ったものよ」と言っていたことを思い出し、本当にそこまでの雪が降ることってあるんだなと感じたのを覚えている。

 ちょうど梅が咲いていたのとその日が土曜だったので梅を見にその頃住んでいた実家の近所の郷土の森公園へ行こうとしたのだが、歩くのが大変だったのとたどり着いたところで臨時閉園で入れなかったものであった。

今年は雪とか以前に寒い日が多いなぁと思いますが、暦の上ではもう春です。

朝礼のネタとしてはボツにした。

終わり

2022年12月25日日曜日

雑記:北京五輪開催期間中の話

一部を再構成。

 11日(金)の午前、北京オリンピック、スノーボードハーフパイプの決勝が行われ、平野歩夢選手がはじめて金メダルを獲得した。私は掃除をしながらテレビの中継を見ていたが、3回目のときにサブチャンネルのご案内がでたのにはタイミングが悪いなと思うところがあった。途中から視聴し、あとでYoutubeのNHK公式チャンネルにて再確認。

https://twitter.com/JunctionLIVE/status/1491968768247230466
おい
なんというタイミングでサブチャンネル切り替え案内

(自分のツイートの引用) 


 競技結果としては2回目と3回目でトリプルコークフォーティーン・フォーティ(縦3回転横4回転)をオリンピックではじめて決めたということだった。

 土曜の毎日新聞朝刊によると2回目は点が伸びずに、本人にも3回目、横4回転半の新技を導入するか迷いが生じたとのことであった。そこで平野選手は2回目と同じ流れを行い、逆転をしたのですがこの迷いと決断の過程はとても興味深いものがあった。

補足
その朝刊記事は電子版によると下記である。

 興味深いと感じた箇所は次の記述。
 最後のランを前に、迷いが生じた。未公開だった横4回転半の新技を投入するか否かだ。「新しい技をするのはリスクが高すぎる。高さと着地の完成度を高めれば上回れる」

 新しい技をするのはリスクが高いため、精度を上げることで確実さを狙ったということなのだが、この決断をこの状況下で行うのは驚嘆であると思った。同時に、このリスクを無理に取らず最適解の判断力の優れたところは仕事を考える上でも参考になるだろうと記事を見ながら思ったところである。


終わり

2022年12月24日土曜日

雑記:新暦と旧暦

今年色々調べたネタを順次再構成して記載する。

 新暦では正月は1月。しかし旧暦ではまだ正月でない。

 旧暦というものがあり、旧暦はだいたい新暦の1月末から2月はじめを指す。日本を除く東アジア圏では春節などとされ、こちらが本来の正月となっている。日本は明治からグレゴリオ暦、新暦に移行したが、それは1873(明治6)年のことでこの年より日本では新暦が採用された。明治時代の初期までは、日本でも旧暦で正月を祝っていたという。

 国立国会図書館のオンライン資料を参照する限りでは1872(明治5)年12月3日が1873(明治6)年1月1日になったそうで、周知期間が短かった為、当時は混乱したようだ。その後、しばらくは公文書には新暦と旧暦が併記されていたようだが、1910(明治43)年には完全に新暦に表記が統一されたということのようであった。

朝礼で喋る際に使用した補足

その1 旧暦・新暦の併記に関する使用状況
 旧暦から新暦へ移行したあとしばらくは旧暦が併用されたとあるが明治22年の「明治二十二年両暦使用取調書」によると、次のような状況であったという。

 調査結果からは、当該期の年始の祝い方には、以下の四つの類型があることがわかったーー従来からの慣習を踏襲し、旧暦の正月にのみ年始の祝いをする「旧正月型」、新暦の一月一日に年始の祝いをする「新正月型」、新暦と旧暦の正月に二度年始の祝いをする型で、多くの場合、どちらかに重きを置いている「併用型」、新暦や旧暦の元旦に年始の祝いをせず、新暦二月一日を「月遅れの正月」などといって祝いをする「変容型」である。改暦により、人々は生活の改変を余儀なくされていくが、とりわけ農業・漁業関係者にとって新暦はなじみにくいものであった。当時の年始の祝い方からは、人々が単純に新暦を受容するわけでなく、旧暦に愛着を抱きながらも、生活を円滑に営めるように自発的に暦を解釈していく過程なども垣間見えて興味深い。年始を二度祝う、あるいは旧暦正月に近い新暦二月一日を「月遅れの正月」として祝うという、習慣と齟齬をきたさないように工夫した新しい形式の年始の祝い方はその好例といえる。 (下村 364)

 曰く、農村・漁村では馴染みにくいものであって、新暦を円滑に営めるような解釈をしているのが興味深いとされている。この調査の意図に関してはただ新暦を普及させていくだけでなく、従来存在しなかった神社の例祭日や皇室行事にまつわる祝日などが追加されていく中で暦日意識を定着させることを意図していたのではないかと思われる。

その2 旧暦新暦の使用
下村育世「明治改暦後の新旧暦使用―『明治二二年両暦使用取調書』の基礎的研究 ―」”高崎経済大学論集no.60,2018によると、都市部の官職においては比較的早くから新暦が浸透していたが農村や漁村では旧暦が引き続き用いられていたことを明らかにしている。

終わり

2022年12月16日金曜日

雑記:就農の危うさに関して思うところ

この記事の続きの話です。 

技能実習制度見直しへ 有識者会議 制度の存廃や再編含め論点に(NHKニュース)

やはり動きがありました。
以下引用です。
今後の論点として、
▽技能実習制度を存続するか、廃止するか、
▽人手不足の12分野で外国人が働く「特定技能制度」に一本化して再編するのかなどのほか、
▽技能実習生の受け入れを仲介する監理団体の在り方などを含めて検討することを了承しました。
 このような動きで技能実習制度の見直しが行われた場合、その場合の代替は私の考えるところでは障害者、並びに障害者と農業あるいは工場現場との関係性で捉えられることになるでしょう。なぜそう考えるか、それはつぎの2点。

  • 障害者と農業への就労との関係性:これは就農であるが、これは都市と地方を問わず一定の動きとしてすでに成立している
  • 就労継続支援B型事業所:すでに施設外就労という形で取り組みが行われている。施設外就労で加算もあったりなかったりするが実習という形式や法の枠組みとして就労継続支援B型事業所は最低賃金を適用しなくても良いという特徴がある。
技能実習制度が抜本的に変わった場合、最低賃金以下で雇うために上記のスキームを援用・拡大する形で障害者が技能実習生の代わりを担うことになるだろう。その場合あくまで個人の推測だが、障害者の人権保障が難しい事態が生じるのではないかと懸念する。

最後に、こうなるのではないかという発想に至ったのは、障害者の就農が世界史の古代ローマにおけるラティフンディア(世界史の窓)に似ていると思ったからである。

終わり

2022年10月9日日曜日

雑記:20代は何でもできるという話

 この頃はTwitterも高齢化が進んできたようで、バズる話も若さではなく若いことの偉大さみたいな話が増えてきている。

そんな話を見て、自分も10年くらい前のことを思い起こして書いてみようと思う。

この前、アラフォーになった私が20代だったのは今から15~5年前のこと。

昔、自らが精神病と向き合うために書いたドキュメントを振り返るならば、そこに書かれていたことは短く言えばつぎのようなものだった。
  1. 好きなことばかりやっていた(サークル、オフ会、政治学)
 Twitterなどによるとこの頃の若い世代は損得勘定で自分の趣味を決定するところがあり、それ故悩ましいことになるみたいな話を聞く。

 右へ左へわけもわからず飛び回った自分から見ると、最近の若い世代はとても大人びているように見える。しかし、"若さ"というのはある種の特権でもあるのでそれを生かしてどこにも飛び回らない生活をしていくというのは寂しいものを感じる。

自分は今思えばわけもわからず飛び回っていたが、結局コスパも損得も考えないことで自らの問題に割合早い段階でぶち当たり今に至るきっかけを作ることができた。

これは副産物だと自分では思っているのだが、役に立たないけど好きなことにアホみたいに打ち込めるのは20代、それも学生時代がマックスなので若いうちに打ち込みたいと思ったことはどんどん打ち込んでおいたほうがいい。

それが将来の財産になると自分が学生時代のころ先人のおじさんおばさんたちは言っていたがこれはやっぱりそうで、この面白いところは直ぐに反映されるわけではなく、年月の経過とともに少しずつ反映されるみたいなところがある。ある日トイレで用を足しているときに突然反映されることもある。そういうものなのだ。これは20代後半くらいで気がついた。

それを踏まえて1つ言及する。

  1. 20代の発達障害者はやりたいことに打ち込め
 自分が、こういうふうに好き勝手やって人に言われても止まらなかったのは今思えば発達障害だったからであるのと、親がその辺をあまりうるさく言わなかったからである。病気を認知する段階では親はうるさく言っていたが、それとは別に専攻や趣味などに関してはあまり言わなかった。

 専攻や趣味にうるさく言わなかったのは今になってなんと幸いだったかと思う。ネットの当事者を見ると、抑圧されたり、うまくレールを作ることができず迷走していった人が結構いるからである。

 一方で当事者でも20代で好きな様にやっている当事者はいきいきしている。年配のおそらく抑圧され続けた当事者からやっかみがたくさん飛んでくるようだが、それに負けず(ブロック、ミュートを使いこなして)に奮闘してほしい。

 若さはある種の特権であり、そこで築いたことが今後につながる。築いたことからの上積みで生活は成り立つのだ。

終わり

2022年9月16日金曜日

メモ:この頃の大学生の就活動向

大学院生を経験すると卒業後も時折手伝いなどをする機会があったりします。
その有無は教授の特徴いかんによりますが、私の場合はそういう機会が生じたということです。ありがたいことと思います。

今回学部3年生のゼミ発表にゲストとして参加することになりました。
正直言えば、結構緊張しています。
なぜかといえば、私が学生をやっていたのは10年前。10年で世の中は様々変わりました。
10年前はリーマンショックと言われた時期で不景気でありましたし、今のようにコロナウイルス禍でもなくまたスマホもそこまで普及しておりませんでした。

下調べのデータも不足しておりましたので、この頃の情勢はどんな感じなのか新聞の大学面のバックナンバーを中心に調べてみました。すると次のようなことがわかりました。


記事によると24年卒はこれまでより早期化しており、インターンシップも夏から行われる傾向は強まるとされておりました。一方で一日インターンシップも依然数が多く超短期のインターンが就活に経験として活かせるかは不透明であるとのことでした。


選考の形態はオンラインと対面の混合型が広がっており、個人の考えとしてコロナ禍前の就活動向とコロナ禍以後では変化が生じていることがわかりました。


学生の実態としては、コロナ禍である2020年入学ということもあり、コミュニケーションが少ないことや構内閉鎖に伴う心の問題が浮上しているとのことでした。

少ない時間では負うことのできる題材にも限界がありますからこんなところなのですが、このように見ていくと24年卒の世代というのは非常に取り扱いの難しい世代なのかと思います。

この他のトピックとしては障害者学生に関するところはまだ新聞は終えていないようで、読売新聞に「持病をどう提示すればいいのか」という質問に対して「ケースバイケース」といったような回答があるなど、障害者学生における新卒が進んできている中でもまだトピック性がないのかなぁと思った次第でありました。

話は別ですが新聞と就活なども色々見ていて今更ながら思うところというのはあります。これは余力があれば書きたいと思います。

何かあれば追記します。

とりあえずここまで。

終わり

2022年9月10日土曜日

時事メモ:エリザベス2世の死去

 朝礼で失敗したネタを供養すると書いたのでこの話を取り上げます。

なぜこんなことをいうかといえば当日朝、マイクが入らないハプニングがありうまく話せなかったからです。


  • エリザベス2世死去


 イギリスのエリザベス2世の死去が日本時間の金曜日早朝、報道されました。NHKプラスのバックナンバーを見ると、金曜日の午前2時半ごろ自然紀行番組の放送中にニュース速報が入り、まもなく臨時ニュースという形で別途スタジオから詳報が伝えられていることがわかりました。次の金曜くらいまでは確認することができます。


 イギリスBBCではBBCワールドニュースのオープニングで使用される赤色で彩られた地球儀を模したCGが灰色になっており「News Report」という題名で、喪服のアンカーがバッキンガム宮殿からの発表としてエリザベス2世の死去を報道しておりました。


 金曜日の朝刊には間に合いませんでした。朝刊の最終版の締め切りは経済広報センターにある「企業広報の基本」によるならば午前2時ごろとされており、その時間を過ぎていたためです。新聞の詳報は電子版を除くと紙面での報道は金曜日の夕刊からとなっておりました。評伝も含めた詳報は土曜日の朝刊に掲載されていました。新聞各紙による詳報を見る限りではエリザベス2世は1926年に生まれ、1952年に即位、そこから70年もの間治世を行い、ヨーロッパではフランスブルボン王朝のルイ14世(リンクは世界史の窓)の72年に次ぐ統治期間であったとのことでした。


 在位中に亡くなったと聞いて、上皇陛下の生前退位のことなどを思い出し、風呂敷をたたむことの難しさを改めて痛感しました。しかしながら、今日、各種記事を読んでいる限り1947年4月21日、当時21歳であった即位前のエリザベス女王が「私の人生、長くても短くても帝国という大きな家族への奉仕にささげます」とラジオでイギリス国民に語りかけたように、まさにそれが生涯であったのだろうと思いました。


 個人的に記事を読む限りですごいなぁと思ったのが、変化し続ける王室を体現していたこと、とりわけ1997年のダイアナ妃の交通事故死を受け、イギリス国民の批判を受け王室への支持率が最低に落ち込んだとき、そこから挽回するために積極的に動いたというところでした。「君臨すれども統治せず」というけれども、政治的な嗅覚は凄まじいものがあると思いました。


終わり

2022年8月29日月曜日

時事メモ:非同盟主義と第三世界について

 新聞を見ていましたら、中国がアフリカ支援で非常に大きな評価を受けているとあって、そこの背景に冷戦期から戦略的にアフリカを重視してきたというふうに書かれていました。

少し、歴史的な観点からの記述が弱いのもあるんですが、日本の新聞を悪いところは歴史の話をしないというところです。これも一言で書けば、ああそういうことかと合点がいくのに変だなぁと思うわけです。

中国とアフリカの関係を見るとき一言で言えば冷戦期に起こった第三勢力の潮流、それに連なる非同盟主義があります。この2つの言葉を『詳細世界史研究』(図書館のリサイクル図書なので2代前です)から拾えば次のようになります。
 第三世界は民族自決権の擁護、経済的自立と世界経済秩序の再編、軍縮の実現などのために国連を中心に活動した。(※)
第三世界は、アジア・アフリカ諸国を中心にアメリカ・ヨーロッパを中心にした第一世界、ソ連などの第二世界に対するもので、 中国はそのカテゴリの中に入っています。

非同盟主義は、東西の冷戦による対立に加わらないだけでない中立の立場を主張したものでありました。主要人物には中国の周恩来やエジプトのナセル、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトーなどが挙げられます。

この流れ自体は20世紀後半に起こった冷戦の下、地域で起こった戦争が当時の大国であった米ソが間接的に援助する代理戦争の側面がありましてそういうところから生まれた動きです。
この第三世界の枠を前提として中国はそんなに豊かでない頃から、今に至るまでアフリカを支援し続けてきたのであったという話です。

このように、歴史に関心があれば世界の見方を少し俯瞰的に変えることができます。
新聞記事見てしょーもないなぁと思ったら不定期に書いていきたいと思います。

(※)木下康彦など『詳説世界史研究』山川出版社、1995年、501頁

終わり

2022年8月28日日曜日

メモ:カミングアウトとそれを巡る危うい告発に関する見解

 障害者雇用に関する批判的見解は法的側面から語らないと危険性を伴うと以前日記に書いたが、あるユーザーが発達障害を巡って書かれたノート記事は感情ベースで書いてしまったという点で典型であった。

内容はすでに削除済みになっているので、ざっくり内容をまとめると一般就労で入った新卒が入社直後に障害をカミングアウト、それからその新卒社員は短期間であちこちの部署を異動、書いたユーザーが所属する部署にも配属されたまったく使い物にならない、病院にもつながっていない手帳も取得していないようなので苦しいというものであった。

ノートへの記載内容は中身はともかく人総的には色々考察できると思うが、思いついたのは1点あったのでそれだけ記述。

1.発達障害をカミングアウトしたことでなぜ解雇にならなかったか
ここが最大の疑問のように思っていた方もいたのですが、事例と推測を参照してみる。


JILPTの雇用関係紛争判例集を見る限りでは類似の事例としては以下が考えられる。

 他方内定取消を違法とした例には、応募書類では在日朝鮮人であることを秘匿し、後にそのことが判明して内定取消となった日立製作所事件(横浜地判昭49.6.19 判時744-29)があり、ここでは、提出書類の虚偽記入は、その内容・程度が重大で信義に欠くものでなければ内定取消は認められないとされた。

 

 この事例では応募書類と実際の状況に相違があって内定取消となったとされているが、今回のノート記事で書かれたような事例の場合、発達障害であるが入社直後に判明した場合であれば経営側の判断としては裁判沙汰になるよりは、新卒社員という採用形態の将来性、教育的側面にかけてそのまま採用を維持したのではないかと思われる。また、ノートを書いた人は知らないようだが、合理的配慮は手帳持ちでなくても事業者判断で受ける(PDFリンクの9頁)ことができるので、障害をカミングアウトしたから解雇というのは選択肢としては現実的ではないと私は思う。

 とはいい、どうしても能力を見極めたい場合であれば試用期間を設けることが求められる。記事によれば、試用期間中は解雇や契約終了の幅も通常よりは広く取られており、ここで能力を見極めていくということになるだろう。


あくまでも一般論ではあるが、今回のケースの場合、試用期間で見極めずそこから本採用になった以上は、しょうがないだろうというところであって我慢しなさいというのが個人的な見解。また、最終的に従業員へ退職を促すか否かは従業員のお気持ちでは不可能なのでそんなことで気を病むだけ本質的には時間の無駄であるといえる。

終わり


2022年8月10日水曜日

メモ:ともに暮らすということ

お盆休みなので発達障害と結婚に関して以前ツイッターに書いた話をまとめます。

1.ともに暮らすということの効用と発達障害

発達障害当事者の議論を見ていると、ともに暮らすことを諦めている人がいるようです。

これはとてももったいない話です。

ともに暮らすということは結婚だけでなくパートナーシップや事実婚も入ります。

さて、配偶者やパートナーとともに暮らすと何が変わるかというところですが、いちばんわかりやすいところで言えば、馬力が1から2になることです。馬力という概念は人だけでなく金なども入ります。
この変化はびっくりするほどローリスクです。これは株式投資をするよりリスクが低いです。

自分も一応発達障害と向き合っている身なのですが、自分の考えとしては発達障害者の結婚・事実婚などに関しては無条件で肯定します。おそらく、否定する側は引け目を感じているのかもしれませんがはっきりこの考えは無意味です。ともに暮らす機会があればぜひ暮らしたほうがいいです。

「私なんて人様の迷惑になるかも・・・」
とか思う人も中にはいるかもしれませんが、人間社会は迷惑をかけてかかされる螺旋のようなものであるのでそこは堂々としたほうがいいです。

その上で、結婚や事実婚のあとのことについてですが、結婚をしたということがゴールではないことを認識する必要があります。

結婚やともに生活をはじめることは通過点でしかないです。言い方を変えればその通過点をすぎても学ぶ事がたくさんあります。むしろパートナーや婚約者とともに歩むことでいろんな意味で脳が刺激されます。この刺激を通してまた学びが深まっていくのは実感としてあります。お互いに分かち合い、話し合い、折り合っていくという課程の繰り返しなのですが、これがお互いの感性を豊かにしていきます。そのためにはお互いにリスペクトが求められます。

2.色々見ていくと・・・

そして、どんなに非モテであろうとなかろうと結婚とか出会いとかそういうのは直感みたいなのがあります。古い言い方かもしれないけど直感は大事にしたほうがいいです。必ずターニングポイントっぽいものがあります。私は恋愛に関しては、直感を重視し今結婚しています。

直感というのは、第六感だったりはじめて異性を見たときにビビっと頭の先から足の先まで貫くような感覚だったり、あるいは「この人と私であればそのうち○○な状況になるだろう」みたいな感覚です。結婚したあとに、いろいろあちこち聞いていると意外とこの感覚を受けた人というのはいないもので、私と同じような経験をした人は数人しかいませんでした。かなしぃなぁと思ったものです。

終わり

2022年7月24日日曜日

メモ:実現可能性を考慮するということ

たまに修士課程の際にお世話になった大学院へ行くことがあります。

目的としては基本的には暇つぶしや交流なのではありますが、この歳になってゼミを聞いていると発見があり刺激になっています。その内容を紹介したいと思います。項目は3つです。
  1. 基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
  2. 研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
  3. 教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
それぞれ解説します。

1.基本的には起承転結を論文という形態で整える時間である
ゼミで書く論文というものは教育的な側面があり、色々見てざっくりといえば、起承転結を論文という形で整える時間です。

例えば、論文の計画があり、計画をどのような方法で展開し、そこから得られたもので見える解はなにか、主張はなにかというのをやります。

ただし、これには根拠が必要でそれは本や論文などの先行研究(これまでのあらすじとも言える)や、各種データ、事例などがそれに当たります。先行研究はレビューなどを通して検討を行います。

データは色々ありますがそこには若干の気づきがあったので次の項目で記載します。

2.研究データは実現可能な方法、力量によらなければならない
ある決まった年限の中で(通常学部は1年、修士は2年です)、風呂敷を広げてたたむということも求められます。風呂敷は広げっぱなしではいけない。

データの収拾方、取り扱い方がそうで、これは仕事でも同様なのですがある課題や課業があるとして、それは決まった時間、あるいは確保できた時間の中で処理しなければなりません。

学部や研究科でも同様であり、それはむしろ社会で勤労者として働く前に身につけるものであります。これは私は残念ながら現役の学生であるときは気が付きませんでした。

処理といいますと、これは本人の力量によるところは大きいところがあると思います。例えば、あるデータ(仮に人口統計とします)があって、これを図表として任意の形で処理するには、表計算ソフトに起こし加工をするわけですが、これができるスキルがあるか。あるいはいろんなツールの発生や利活用を見聞きすると、この頃では情報処理に関するスキルの有無が論文を作成する上で、重要になっていると思います。言い換えれば文系でも理系の知識が必要といったところです。それだけ情報が高度化してきていると思います。

加えて言えば、就職したあとも、情報処理を求められることが増えているような気はします。情報処理に関する基本的なスキルを早い段階から身に着けていれば文系でも何かに取り組むとき助けになるかもしれません。

3.教授と院生とすり合わせて作る教育的な側面が求められる
観察しているとそれはすごく感じるところがあって、教育機関だからこそすり合わせをしながら作っていくというのは大きいです。言い換えれば、アウトプットだけを求めるのではなく、教育課程ではインプット方とアウトプット方を育成するところに焦点をあてるのはおそらく本人も成長できるというところでしょう。

今はどうか知りませんが、大学院は悪い意味でガチャみたいなところがあります。いい先生に当たれば、面倒よく色々見ていただけるのですが、悪い先生に当たると、適当にあしらわれて個人戦になって潰れるなんていうケースもよくあります。私もかつて見聞きしただけでもいくつか潰れた話を聞きました。

その上で、警句めいた感じになってしまい、誠に申し訳ないのですが最近一部の働く発達の当事者の中には大学院に行って研究を書きたいという方もたまに見かけます。本当に気をつけてください。社会人の大学院というのは色々ありますが、基本的には教授の相性だけでなく、仕事しながら通う形になりますので非常に時間がとられます。夜間を中心に通う形になりますが、平社員だとかなり厳しいです。ゆえに企業のお金と勤務の枠で行くのがある種の常道であるし、そういうルートではなく通常ルートでしかし当事者だから行きたいという情熱と夢だけで達成できるほど、生易しいものではないとだけは言っておきます

終わり

2022年6月27日月曜日

メモ:判断基準のものさし

この頃、Kindle Unlimitedの購読を再開しました。
再開の理由は3ヶ月99円セールのお知らせがあったからなのですが、これは色々あって1ヶ月無料のみしか適用できませんでした。私の徳がなかっただけですので忘れます。

さて、Kindle Unlimitedでこんな本を見つけ読みました

この本は90年代後半に朝日新聞で連載されたコラムをもとに書かれたもので、インプレス社より復刊したものになります。

青木雄二さんという漫画家がいたという話は知っていて、何気なく読んでみたのですが面白かったです。

どう面白いかというと、マルクス主義というフレームワーク、考え方を自分の中に落とし込んでそれを分析のツール(ものさし)として用いているということです。ネットの評判を見ると、マルクス主義が好きな漫画家といった評が載っているものでしたが、そういう次元ではないように見えました。

先人の考え方を分析のツールとして利用するのは結構難しいものがあって、知識の蓄積が必要です。自分も歴史の中で考えたときにとか言ったりすることがあるんですが、それはせいぜい山川の詳説世界史レベルの話であってそんなに複雑なものは基本使いません。というか自分はまだ確固たる分析のツールが確立していないきらいすらあります。


分析のツールとして使うのはぶっちゃけ、割合普遍的なのであればどんなのでもいいです。それが、青木雄二さんの場合はマルクス主義だったわけです。
ハイエクでもフリードマンでも全く構わないと思います。

ネットの悪いところだなと思うのは分析のツールとして哲学を使って、世の中(世間ともいう)をどう見るかではなく、木を見て森を見ない揚げ足とりが支配的であるということのようにあります。例えば、ある事柄について問題提起をしたとしてそれを行った人の髪の毛が薄いとかいうところにばかりに注目をする話です。
結局の所、お金を稼ぐにしろ何をするにしろ生活をどう行うか、その生活を豊かにする一つの尺度は分析のツールをどう使うかによるので、それを放棄して揚げ足とりをしながら生きるのは生活の手段を放棄しているのと同じです。

終わり

雑記:障害者も加害者になりうるというpostを読んで思ったこと

 https://twitter.com/misa_misaxxx/status/1710711980888297476 この発言は障害者を巡る微妙なところをよく可視化したものだと思いました。 一般社会で普通に暮らしているとなかなかわからないところがありますが、障害者の世界は妬み...